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卯月の夜と皐月の朝の狭間

ふと目が覚めてしまい、夜明け前の僅かな時間を持て余す。
枕元の懐中時計を開けば、針は夜中とも朝とも言えない中途半端な時刻を指し示している。
直に初夏を迎えるというのに。
北の大地に太陽が昇るのは遅く、カーテンを引き忘れたままになっていた窓の向こうにある空は、陽の光が届かない海底のような色をしている。

(さて、どうしようかなぁ)

起きて動き出すには早く、もう一度眠るには意識が覚醒してしまっている。
困ったな、と思わずひとりごちた大鳥は、ちらちらと視界の端に入っている黒髪に何の気なしに手を伸ばした。
艶やかで指通りの良いそれの感触を楽しむように梳く。
持て余すこの時間をこうして過ごすのもいいかもしれない。
そう思い、腕の中で心地良さそうに眠っている土方を見つめる。

ときに母が子に見せるような優しさは、彼の本質的なものだ。
だが、京の都で青狼と恐れられていた彼もまた、偽りではない。
戦場に立ち、先陣を切って駆けていくその姿はまさしく獣たちを率いる勇敢な将そのもの。
兵士たちが土方のことを軍神だと崇めているのも頷けた。

しかし、こうして頬に影を作るほど長い睫に縁取られている瞳が閉じられていると、分からなくなる。
確かに、彼は勇敢だ。
非情な決断に挫けることもなく、残酷な現実から目を逸らすこともなく。
優しさを失うこともない、強い人だ。
だが、本当は。
そう思いたいだけで、本当は違うのではないか、と思うのだ。

(こんな細い身体で、君はどれほどのものを抱えているのだろう…)

白いシーツに溺れるように眠る姿は、ひどく脆弱で。
触れれば消えてしまうような、儚い存在のように思えてしまう。
いつだって自分たちの先頭に凛と立ち、誰よりも真っ直ぐに前を見据えている強い存在が。
本当は誰よりも繊細で、傷付きやすい人間のように見えてしまう。

いや、本当は。
知っている。
気付いている。

「……」

本当に、彼は誰よりも繊細で、傷付きやすい優しい人なのだ、と。
勇敢で、強くて。
しかし、同時にひどく脆弱なのだ、と。

「…ごめんね」

目を逸らし続けていた事実に、胸が痛む。

自分たちは彼の強さに縋り、甘え、彼に何もかもを押し付けているのではないだろうか。
自分たちの存在こそが、彼を苦しめているのではないだろうか。

「ごめん…」

守る者として在るからこそ。
そう在りたいと思うことで、自分は強くなれる。
そう言った彼に、君を守りたい、などと言えるはずもないが。
自分に彼ほどの強さがあったのなら、そう言えただろうか、と思う。

「…ごめんね、土方君」

掬っていた土方の髪が指から流れ、彼の頬にさらりと落ちる。
白皙を引き立てるのはその漆黒故か、それとも漆黒を引き立てているのが白皙なのか。
どちらにせよ、モノクロームのその光景は美しく、大鳥は土方の髪を掬っては流すという行為を何度か繰り返した。

そうして何度も毛先に頬を撫でられ、擽ったくなったのか。
ふるり、と長い睫が震えた。
大鳥が「しまった」と思ったときにはすでに遅く、瞼の下に隠されていた黒曜石の瞳が姿を現した。

「…ん、ぅ?」
「あぁ、起こしちゃったね」
「…お、とりさん?」
「うん、おはよう」

寝起きの掠れた声で「おはようございます」と返してくる土方の額に唇を寄せ、当たり前のように返ってくる言葉に安堵している自分自身に内心で苦笑した。

名前を呼べば返事があり、名前を呼ばれ、言葉を掛ければ言葉が返ってくる。
たったそれだけのことで、ひどく安心するようになったのはいつからだったか。

(君を守りたい、何てこんなに弱い僕が言えるわけがないよね)

自嘲が混じる苦笑を内心で落とし、まだ眠たそうな土方の薄い肩を抱き寄せる。
掌に伝わるその体温が。
傍にあるその鼓動が。
耳朶を擽るその吐息が。
染み渡るようなその声音が。
真実のものなのか、虚構のものなのか、分からなくなるときがある。
今この瞬間でさえ、実は夢なのではないか、と。

もしも、この瞬間が現実ではなかったとしたら。
渇望する虚実が残酷な現実を隠しているのだとしたら。
自分は果たしてどちらに手を伸ばすだろうか、と何度思っただろう。

残酷なものだと分かっていながら、現実に帰ることを望むか。
それとも、虚実のものだと知りながら、そこに縋るか。

躊躇なく「前者を」と答えるだろう土方の隣で、きっと自分は答えられないだろう。
夜とも朝とも言えないこの時間のように。
自分も随分と中途半端だ、と思わず苦笑が口端から零れた。

「大鳥さん」
「何だい?まだ寝ていてもいいよ」
「朝陽は?」
「まだ昇っていないよ」

もぞもぞと身じろぐ土方に、起きたいのだろうかと手を貸してやる。
そのついでに大鳥自身もシーツと別れを告げて半身を起こした。
脱ぎ捨てられ、皺だらけになったシャツを足元で見つけるが、暖房が必要な季節ではない。
自分の上半身はそのままに、同じように肌を晒している土方にはシーツを巻きつけてやる。

「外に、行きませんか?」
「え?」

身体に巻きつくシーツに足を取られるでもなく、身軽に寝台から下りた土方に大鳥はぱちりと瞬く。
唐突に何を言い出すのか。
そんな疑問が顔に出ていたようで、土方は小さく口許に笑みを乗せて、手を差し出した。

「朝陽を見に行きましょう」

唐突な、だが甘い囁きにも似た声音で誘われ、大鳥が頷かないはずがなく。
持て余していた時間に、“朝陽を見る”という意味を与えた土方の差し出すそれに、自分の手を重ねた。




重ねた手を離すことなく、誰もいない廊下を抜け、大鳥は土方が歩むままにその後を追った。
宿舎は見えないほど後方で、いくつかの土塁を越えた前方には拓けた穏やかな丘があるだけ。
五稜郭に本営を置いてすぐ、周辺の状況を把握するために歩き回ったときにもこの丘はあった。
その先に何もないことは、土方も知っているはずだ。
だが、彼の足は迷うことなく頂上を目指している。

「君とこうして歩くのは、初めてだね」
「えぇ、そうですね」

交わす言葉は少ない。
しかし、妙な安心感に包まれ、大鳥は繋いだままの土方の手をぎゅっと握った。
刀を握り、命を奪い、そして、多くの命を守ってきた手だ。
この手は過去に、どれほどのものを失ったのだろうか。
これから先、どれほどのものを失っていくのだろうか。

せめて、自分だけは。
自分だけは、多くのものを失う彼の手の中に残りたい、と思う。

(ほんの欠片でもいいから…君もそう思ってくれていたら…)

これから必ず来る残酷な現実の唯一の救いになるだろうに。
決して口にはできない願いを飲み込み、握り返してくる土方のそれを見つめた。

そして土方もまた、痛いほどの力で握る大鳥の手の温もりに、忘れたくない、と思った。
誰かにとってそうであっただろう誰かの命を奪っておきながら、それでも。
奪われたくない、と。
いや、奪わせはしない、と思う。

覚醒しつつあった意識の端で聞いた、大鳥の謝罪の言葉。
あれは一体、何に対する謝罪だったのか。
それを聞く術はあれど、何故か聞いてはいけない気がする。
誰にでも触れてはいけない聖域はあるもので、きっと、あの謝罪の根本にあるものは大鳥にとってのそれだろう。

だからこそ、懇願にも似ていたあの呟きに土方は口を噤んだ。
時に、無言が赦しになることを、知っていたから。

「私はあなたを赦すから…」
「え、何だい?」
「…あなたと見たかったんです。朝陽」

己の思考に溺れていた大鳥は、前を見つめたまま紡がれた土方の言葉を取り零したが、徐に振り返った彼の端整な容貌に浮かんだ微笑みに目を瞠った。
何と言うべきなのか。

「…土方君、」

かつて、人類はひとつの言語しか持たなかったという。
彼らはいつしか畏れを忘れ、神の領域を目指した塔の建設を始めた。
しかし、その愚行に怒った神に、それまでひとつしかなかった言葉を分けられてしまった。

昨日まで愛を囁き合っていた大切な人と突然想いが通じなくなってしまった誰かが抱えたであろう、深い寂寥のような。
それでも愛する者に歩み寄ろうと不自由な言葉を放棄した者が瞳に宿したであろう、優しさや穏やかさのような。
人類が初めて抱いた深い哀しみと、それ以上の深い寛厚がない交ぜになったかのような。
土方のそんな表情に、彼が足を止めていたことにも気付かず、ただただその横顔を見つめる。

「もうすぐですね」

大鳥の視線に構うことなく、土方は白みはじめた空に視線を向けた。
幾度となく見てきたはずの光景。
だが、これほどに穏やかな気持ちで迎える夜明けは随分と久しいもので。
遠い日、今は亡き友と故郷で見たそれを思い出す。

東から西へ、西から北へ。
奔走し続け、見る場所も共にそれを見る者も変わり続けた。
そうして、今。
漠然と。
しかし、確信を持って。
この場所でこの人と見ることが最後だ、と近い未来の自分が言う。

「あなたと、この光景が見たかった」
「え?」
「私の一番好きな光景です。夜でも朝でもない、優しいこの時間」

それを中途半端な、と表現した大鳥は、徐に自分に向けられた土方の揺らぎない瞳に思わず息を飲む。

「夜は辛いことばかりを思い出す。朝は誰かを失うかもしれない恐怖が付き纏う」
「……」

空の色が、徐々に変わり始める。
それはまさしく、土方の言う夜と朝の狭間。
どちらにも拒まれ、どちらでもない完璧な中立にある世界。

「あなたは、この時間に似ていますね」

土方としてはただ思ったことを口にしただけのことだろう。
しかし、「中途半端な時間」に「中途半端な自分」を重ねていた大鳥は、それが見透かされたのかと瞠目する。
現実にも虚実にも立ち向かえず、その間の中途半端な場所で立ち竦む中途半端な人間だ、と。

だが、大鳥の心中を知る由もない土方は口許に微笑を浮かべたまま、大鳥にそっと身を寄せた。
そして、ひとつ呼吸をしてから目の前の中立な世界を見つめる。

「絶望の夜と恐怖の朝。その狭間のこのひどく優しい時間…」

彼方から、波が岩を浸食するようにじわじわと闇が光に喰われていく。
それを見つめたまま、土方はゆっくりと口を開いた。

「この時間は、私にとって救いなんです」

大切な者を何度も失う夜。
自分か誰かの死が待つ朝。
その狭間にある、どちらでもない安息の世界。

言外に、自分にとって大鳥という存在はそれだ、と。
自分にとって救いだ、と言う土方を、大鳥は反射的に抱きしめた。

「…僕が、もっと…君のように強かったら…」
「あなたは強いですよ。私よりも、ずっと」
「僕は弱いよ。だから、僕は…」
「見誤ってはいけない。あなたにとっての弱さが、誰かにとっては強く見える」

大鳥の腕の中から顔を上げ、土方は口許の微笑を深くした。
忘れたくない、と切に願う彼の体温を感じながら。
彼にとっての聖域が穢されないことを、祈らずにはいられない。

「あなたのその強さに救われる者が、確かに居る」

ここに、とは言わずに。
泣かまいと堪えているのか、眉根を寄せた珍しい大鳥の表情にくすくすと小さく笑い、土方はその視線を空に戻した。
光に侵食された闇が意地を見せて空にしがみ付いているが、存外に強引な光は問答無用と言わんばかりに喰らいつくだろう。

「夜が、明け始めましたよ」

いつか必ず来る残酷な現実が、足音もなくまた1歩近付く朝。
見えてきたその姿から目を逸らし、大鳥はやがて光で溢れるだろう空を一度見たあと、土方の肩口に顔を埋めた。
堪え切れなくなった涙を、隠すために。

「大鳥さん、」
「何だい?」
「泣いているんですか?」
「泣いてないよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」

嗚咽を隠して声が、震える肩が、首筋を濡らすものが、それを涙だと教えているが。
土方はそれ以上は質さず、大鳥もそれ以上は口を開かずに。
妙に心地の良い沈黙の時間を共有する。

やがて、卯月の夜は喰らい尽くされ、皐月の朝が大地に訪れる。
彩雲の下。
不器用に、それでも懸命に。
彼らは夜と朝の狭間の名残を抱きながら、互いの熱を感じることで生きていることを確かめ合った。


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投げやりになるでもなく、自棄になるでもなく。
何かを信じて、何かを目指して、何かのために、諦めることなく、生き抜いた先に希望を持って。
誰も助けてくれない残酷な現実の中で神さまを信じ続けるように、
終焉が分かっている中で足掻き続けることはとてつもない覚悟がいると思う。

2007年3月26日アンニュイな午後に初出/2014年5月7日アンニュイの定義を見失ったまま再出

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2014-05-07
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