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セラピアの掌

淡々とした口調で、「強風域に入った」と冷静に告げるアナウンサーの声を聞き流し、尊は手元にあったリモコンでテレビの電源を切った。
途端に、しんと静まり返る部屋。

「…早く、寝てしまおう」

短いため息と共にぽつりと落とし、ソファから腰を上げる。
時計の針はまだ随分と早い時刻を指しているが、思考を放棄するには手っ取り早い、と寝室に向かう。
だが不意に、その背を、風が窓を叩いた音が襲った。

びくりと肩を跳ねさせ、尊は分厚いカーテンに遮られている窓の方へと目を向けた。
カタカタ…、と微かに窓が啼く。

「……これだから、台風は苦手だ…」

誰にともなしに悪態を吐き、徐々に近付いてくる台風を恨む。
昨夜、本州に上陸したそれはゆっくりとした足取りでこの街に向かっていた。
気まぐれで寄り道さえしなければ、暴風域に入るのも直だろう。
もう少し急ぎ足で来てくれれば夜を迎える前に過ぎて行ってくれだろうに、と誰に言ってもどうしようもない悪態を零しながら、思考を切り替えようと軽く頭を左右に振る。

存在を忘れられ、冷め切ってしまっていた紅茶を煽り、銀朱色のそれと共にいくつかの言葉を飲み下す。
遅々とした台風に対する悪態を。
そして、心の中にいるもう1人の自分の悲鳴を。

(大丈夫…大丈夫、だから…)

痛みまで訴えはじめたもう1人の自分に言い聞かせる。
だが、一度聞いてしまった悲鳴の残音が耳から消えない。
寝室に向けたまま、動かすことのできなくなってしまった足から力が抜け、へたりと絨毯の上に座り込む。

それほど遠い過去ではない過去に負った傷が、熱を持つ。
左足首と右胸の肋骨。
熱を持ったそこが、じくじくと傷む度に嫌でも思い出してしまう。
一方的で理不尽な暴力の、恐怖を。

「…ッ、ぃ、たい…」

部屋着のラフなシャツの胸元を握り締める。
嫌というほど鮮明に、過去が甦ってくる。

自分を愛し、自分が愛した男。
あれほど愛していた優しい笑みを、もう思い出せない。
記憶にあるのは、狂気に支配された昏い双眸。
ひどく冷たい掌の感触。
奴隷たちを拘束する鎖のように、あのとき植え付けられた恐怖が絡みついてくる。
まるで、逃げることは許さない、と言うかのように。

「…は…ッ、くっ…」

窓を叩く風が強くなる。
それが、蹲る背中に追ってくる足音のようで。
凶器に変わってしまった手が迫ってくる錯覚に襲われた。

雨も勢いを増し、風に煽られたそれが大地に殴りかかっている音が耳鳴りのように尊の頭の中をのた打ち回る。
毛足の短い絨毯に突き立てた指が、キシリと嫌な音を立てた。
血液の流れを拒む白い手は、青白くなっていく。

それを見つめる丸い双眸が何かに堪えるように細められ、小さな手が。
いや、艶やかな黒い毛に覆われた前足が、尊のその手にそっと触れた。

「にゃぁ…」

どうしたの、とでも言っているのか。
小さな身体を懸命に伸ばし、尊の顔を覗き込む黒い毛並みの仔猫のアーモンド形の瞳が不安そうに揺らぐ。
共通の言葉は持たないが、それでも、人間もまた動物だ。
互いの心を分かろうと歩み寄れば、意思を通わせることができるのかもしれない。
その感情豊かな瞳を見つめ返し、そう思う。
そこに言葉などなくとも、この小さな存在が自分を心配していることがひしひしと伝わってくるのだから。

「…だい、じょうぶだよ、レイン…ありがとう…」
「にゃ…」
「少し、嫌なことを…思い出してしまっただけだから…」
「…にゃー…」

「本当に大丈夫?痛くない?苦しくない?」と聞こえてくる気がした。
擦り寄せてくる頭を撫で、「大丈夫だよ」と返す代わりに耳の付け根を指先で擽ってやる。

猫科特有のザラザラとした舌で舐められ、小さな体で懸命に自分を心配するレインの仕草に尊は口許を緩めた。
左目の眦にある小さな泣きボクロを、零れた水滴が濡らす。

「ありがとう、レイン…」
「にゃ」

あぁ、自分は何度この小さな命たちに救われてきたことだろう。
温もりを腕に抱き、人間のそれと決して変わらない命の重さを感じながら、尊は瞳を閉じる。

身体も心もボロボロになり、何もかもが敵に見えた。
そんなとき。
窓辺で優しい歌を歌ってくれたのは、1羽の小鳥だった。
傷付いた身体を労わるように側にいてくれたのは、1匹の犬だった。
どこからか気まぐれにやって来ては季節を教えてくれたのは、1匹の猫だった。
生きることにさえ執着を失いかけていた自分を救ったのは、紛れもなく、あの小さな命たちだったことを思い出す。

今も、あの鮮やかな羽を持った小鳥は誰かのために歌っているだろうか。
金の毛を持ったあの大きな犬は、今も傷付いた誰かに寄り添っているだろうか。
今も自由気ままだろうあの三毛猫は、気まぐれに誰かの元に季節を運んでいるだろうか。
きっと、この国のどこかで誰かを愛し、誰かに愛されているだろう姿を想像し、そっと瞳を開けた。

(私を助けてくれたあの子たちを守るために、獣医になったけれど…)

尊が、かつて外科を専攻する医学生として白衣を着ていたことを知る者は少ない。
国内最高峰と謳われる大学を辞め、海の見える小さな街で獣医になったことを知っている者はほとんど居ない。
逃げるように都会の街を横切り、知らない電車に乗り、知らない駅に降り、知らないこの街で生きていることを。
今は遠い国に居るという、あの男も。
両親ですら、知らないだろう。

知っているのは、この仔猫と。
動物アレルギーでありながら、動物を愛おしむことができるあの人だけ。
道端に捨てられていたこの仔猫を抱きかかえて、ぐしょ濡れになることも厭わずに動物病院を探し回ったという、あの彼だけだ。

(…獣医になって良かった。この仔を助けることができて、良かった)

衰弱し、今にもその小さな命の灯火を消してしまいそうだった仔猫を救うために、必死に走り回って。
そうして、やっとのことで見つけたこの場所に辿り着いた彼の想いを叶えることができて良かった、と改めて思う。
その灯火が轟々と音を立てて燃えていることを証明する鼓動が触れた掌に伝わり、胸の痛みが和らぐ。
あんなにも重たかった命の重みが、心地良いと感じる。

(私にはもう、命と向き合う資格はないと思っていたけれど…この仔たちが、肯定してくれたから…)

自分の命ですら抱えて生きていくことが辛く、そんな自分に他人の命を背負う資格はないと白衣を脱いだ。
いや、人間に憎悪を抱いた自分に人間を救えるはずがない、と。

それでも、両手が残された意味を考えた。
たとえば何か、たったひとつでもこの手でやるべきことがあるから残されたのだとしたら、と。
そうして見つけた答えが、傷付いた自分を癒してくれた小さな命をひとつでも救うことだった。
身体にも心にも深い傷を負って、ボロボロになって。
生きることを放棄しかけていた自分を救ってくれた小さな命のために、この命を使おうと決めたのだ。

あのとき選んだ答えは、間違っていなかった。
そう確信しながら、尊はレインの柔らかな毛並みを撫でた。

「そういえば、レインもこんな天気の日に拾われたんだったね」
「にゃ」
「レインも、雨は苦手かな」
「にゃぁーん」

たった1匹。
吹き付けてくる冷たい雨に濡れながら、狭いダンボールの中で小さな体を丸めて必死に生きようとしていた。
怖かっただろう、と思う。
「助けて」と必死に声を上げているのに、誰も足を止めない。
まるで、存在を否定されているかのような圧倒的な孤独。
それは、いかほどの恐怖だっただろう。
自分の横を通り過ぎていく人間たちを見つめながら、叫ぶ声も枯れてしまって。
孤独と恐怖に押し潰されそうになりながら、悲鳴を抱きしめて、寒い夜を何度過ごしたのだろう。

「怖かったよね、レイン」
「にゃ、にゃぁ」

うん、怖かった。
まるでそう答えているかのように鳴くレインに、尊は殊更優しくレインの背を撫でる。

しばらく互いに無言でそうしていると、遠くでカタンと物音がした。
強くなった雨か、それとも風が悪戯をしていったのか。
気のせいではないそれに、鼓動が早鐘を打つ。

(ま、まさか…追ってきた…)

海の向こうにいると分かっていながら、理解とは別物の思考はひとりで走り出す。
ありえないと言い聞かせてみるも、脳裏に焼きついてしまったあの顔が、あの男の手が迫る。
それから逃げるようにぎゅっと目を閉じ、レインを抱き込む。

怯え、小さく震えるその姿を前にした彼は、最寄りの駅から走ってきて良かった、と心底思った。
ほっと安堵のため息を落とし、尊、と呼びかける。

「…ぇ、」
「ただいま、尊」
「ゆ、佑一さん…?」

聞き慣れた声に呼ばれた気がして、恐る恐る顔を上げてみれば。
そこに、ぐしょ濡れの佑一を見つけ、尊は瞠目した。
ぽたぽたと髪から水滴が落ち、色が変わってしまっているスーツに染みこんでいく。

「後で掃除と洗濯はするから、許してな」
「?」

一体何を言っているのだろう、と思う間もなく。
尊の視界から佑一が消える。
いや、抱きしめられたことで視界に入らなくなる。

「こんな夜に独りにして、ごめん。怖かったよな」
「……っ」
「もう、大丈夫だぞ」

雨に打たれた自分の身体が冷えてしまったせいなのか。
抱きしめる腕に尊の体温がはっきりと伝わり、佑一はほぅっと息を吐き出した。
ここに居る、と確かめるように、尊の細い身体を強く抱きしめる。

強張っていたその身体から徐々に力が抜けていき、無防備に預けられる。
全身ずぶ濡れの状態で抱きしめているのだから、尊も濡れてしまっているだろう。
だが、今この身体を離してはいけない、と佑一は一層強く抱きしめた。

もう少し早く来ていれば、もう少し早く抱きしめてやっていたら。
彼にこんな表情をさせなくて済んだのに、と奥歯を噛み締めながら。

「遅くなってごめん、尊」
「ゆ、いちさん…」
「うん、俺だよ。もう大丈夫だからな」

尊が雨の夜を苦手としていることを知ったのは、まだ最近のこと。
何があったか、尊の口から聞いたときの胸の痛みを忘れることはできない、と思う。

医大生の頃、恋人から受けた暴力の傷。
今も深々と残るそれを見たとき、湧き起こってきたのは怒りでも憎しみでもなく、確かな殺意だった。
人間の命を救うためにある手で、彼を傷付けたその男に。
世間体と己の地位を守るために、彼を手酷く捨てたその男に。
そして、誰よりも彼の味方でなければいけなかったと言うのに、傷付いた彼を更に追い込んだ彼の両親に。
確かな刃となった殺意を、向けた。

今、目の前に彼らが現れたら。
きっと、罵倒するだけは済まないだろう。
今もこの世界のどこかにいるというだけで、虫唾が走る。
尊が許したとしても、自分は決して許せない。
右手に握った刃を、命乞いをする彼らに何の躊躇もしないで振りかざすだろう。

ごく普通の人間が誰かを想い、その誰かのために人を殺してしまう瞬間はこんな気持ちなのだろうか、と思考の端で思う。
誰よりも命の重さを知っている尊に、自分がこんなことは考えているとは言えないが、と内心で苦笑をひとつ落としながら。

(ただ、ひとつだけ…たったひとつだけ、感謝することもある)

尊の身体も心も傷つけた男を許すことなどできない。
だが、だからこそ尊は恋人であったその男との幸福な瞬間もあったであろう思い出を全て捨てた。
優しい別れの思い出を抱いて過ごすことなく、他の男が与えた幸福に浸ることもない。
遠い海の向こうで仰々しい肩書きをひけらかし、愛した者を傷付けたその手で誰かの命を救っているだろう男に、ひとつだけ感謝する。
尊から、愛され愛した思い出をも奪っていったことを。

そして、自分たちの体裁のために傷付いた息子を突き放した彼の両親に。

(あんたらが尊を捨てたから、俺は尊と出逢えたんだ。それだけは、感謝してやる)

病院を経営しているという尊の両親は医師で、尊には跡取りとして医師になる道しか与えられなかったという。
そんな尊に、同性の恋人がいたこと。
その恋人が自分たちの病院の優秀な医師だったことと尊がその医師の暴力で傷付いたことを知った彼らは、あらゆる事実を隠匿した。
傷が癒えるまで尊を病室に閉じ込め、金を使ってその医師を海外へ飛ばしたのだ。

そうして、白衣を捨てたいと訴える尊を決して許さなかった。
最終的には、優秀な医師を手放すことになったのは尊のせいだ、とまで非難した。
傷付いた心に、その言葉の暴力はどれほど痛かったことか。
想像することしかできないが、優しい彼にとっては肉体を傷付けられるよりも辛く、苦しかったことだろう。

だが、しかし。
その痛みから逃れるために尊がこの街に来たのだと思えば、なかったことにしたくはない、とも思う。

(…最低だな、俺……)

尊にしてみれば、全てなかったことにしたいだろうに。
内心で自嘲を落とし、それでも、この出逢いだけはなかったことにして欲しくない、と切に願う。

「尊の中を俺でいっぱいにできたらいいのにな…」

ぽつり、と。
佑一は内心で呟いたつもりであろうそれは、口端から零れ、尊の耳に届けられた。
自分に聞かせるためではないそれだからこそ、尊は思わず呼吸を忘れる。

心の底から、偽りも飾りもない、あまりにも真っ直ぐな言葉。
それが脳から全身に伝わり、細胞のひとつひとつに浸透していく。
背中を撫でる佑一の掌の体温が、じんわりと胸を満たす。

「佑一さん」
「ん?どうした?」
「あなたの手は、命を救う手ですね」

佑一の腕の中から顔を上げれば、きょとんとした双眸と視線がぶつかる。

「レインを救ったのも、私を救ってくれたのも、佑一さんのこの手です」
「…でも俺は、尊の痛みを取り除いてやれない」
「いいえ、あなたの手は温かくて、痛みを忘れさせてくれます」

向けられる優しい眼差しがまたひとつ、心の柔らかい部分に負った傷口を塞ぐ。

「知っていましたか?“手当て”という言葉は、傷口に手を当てることからその字がつけられたんですよ」
「手を、当てる?」
「そう。佑一さんの手は、いつもそうして私の傷を癒してくれる」

まだそこに確かにあると言うのに、いつの間にか痛みが消えている。
台風の目に入ったのか、それとも彼が台風すら追い払ってしまったのか。
静かになった外の気配を感じながら、尊は佑一に微笑を向けた。

それが、あまりにも美しく優しげで。
牙を剥くことで必死に身を守ろうとする動物たちが、何故彼の前では無防備な姿を曝け出すのか分かった気がした。

「…ミコ、尊」
「はい?」
「お前が痛いときは、俺がこうして手当てをするから…ずっと、絶対に」

だからもう、独りでは苦しませない。
そう言い切る佑一に、尊は今まで誰にも見せたことのない笑みを佑一に見せた。
言葉よりも饒舌に、器用に、幸福だと告げる笑みを。

「…っ、ミコ、ミコ…尊…ッ」
「はい、何ですか?佑一さん」
「尊」
「ふふ、擽ったいですよ」
「好きだ。好きすぎて、俺の中が尊でいっぱいになるくらい、好きだ」
「えぇ、私もです。あなたでいっぱいです」

がばっと苦しいほどに抱きしめられ、尊は思わず苦笑する。
だが、苦笑だけで済まない存在がその中にいた。

「にゃっ!」

じっと見守っていたレインが、「いい加減にしろ!」とでも言うかのように尊の腕の中からひょっこりと顔を出す。

「あ、レイン…ご、ごめんね、苦しかった?」
「わ、ごめん!潰しちまうところだった」
「にゃー」

全くだ、と文句でも言っているのか、アーモンド形の瞳が細められる。
ぷいっと顔を背け、怒っているぞ、と主張しているようだ。
その感情豊かなレインの仕草に、尊と佑一は小さく笑い合った。

「あれ、そういえば佑一さん、レインがいるのに…アレルギーは?」
「あ、俺マスクしていない!え、ってことは、アレルギーこくふ…っくしゅん!」
「……していなかったようですね」
「にゃぁ」
「今、ざまぁみろって聞こえたぞ…」
「にゃ、にゃにゃ」
「気のせいだよ、ですって。ふふ、レインだって本当は感謝しているもんね?佑一さんに救ってもらって」
「にゃー」
「…何か含みのある“ありがとう”だな…へっくし!」
「そんなことないよね?ねぇ、レイン」
「にゃぁー」

こてんと首を傾げ合っている尊とレインの頭をくしゃくしゃっと撫で、佑一はむずむずとする鼻に堪えながら、1人と1匹を抱きしめた。
その腕の中で、彼に過去の恐怖から拾われた1人と孤独の恐怖から拾われた1匹は顔を見合わせる。
「いい人に拾ってもらえたね」と言うかのように、尊は微笑み、レインは小さく鳴いて見せた。

自由気ままな台風は進路を大きく変えたのか。
外ではすっかりと風が止み、雨が洗っていった澄んだ空気が街を包み込んでいた。
穏やかになった夜道を散歩していた猫が見上げた先には月が、夢の世界を旅している人間に寄り添った犬の見つめる先には星が。
そして、子守唄を紡ぎながら飛ぶ小鳥の向かう先には晴れ渡った大空が、あった。

  抱きしめてくれる腕の温かさと強さに、生に感謝できた日


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いつか書きたい尊の過去篇。
でも、私が書いたらきっとえぐくて悲惨なほど酷いお話になりそうなので、書いてくれる人を募集しています(←Σ他力本願)

セラピア(ギリシア語)=癒し
2012年8月29日設定が暗すぎてどうしていいか分からないまま初出/2015年1月1日今年こそはオリジ小説を何とかするために再出


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2015-01-01
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