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絶え果つことなき意地を

手を伸ばしても決して届かない頭上の遥か上にある小さな格子窓から差し込む朝陽の眩しさに、ゆらゆらと夢と現の狭間で漂っていた意識が覚醒する。
その途端、ありとあらゆる関節が軋み、身体が悲鳴を上げた。

「…ぃ、てぇ…ッ」

板さえもなく、土が剥き出しになっている劣悪な環境にはとうに慣れた。
半身を起こすこともできないほどの痛みにも、耳を塞ぎたくなるほどの罵倒にも慣れた。
むしろ、横倉にとっては些細なことでしかなく。
ただただ、眦から零れて頬を濡らしていく涙に自嘲を零す。

現実を嘆いているのではない。
怒りなのか、哀しみなのか、憎しみなのか。
それさえも分からないが、どうしようもなく身体が震え、涙が止まらない。

足掻くこともできずに、ましてや時間の流れを止めることなどできるはずもなく。
機械的に呼吸を繰り返しているだけだ。

「…ッ、ぅ…」

そうして繰り返される呼吸毎に今が過去を追いやり、過去が少しずつ遠くなっていく感覚に胸を掻き毟りたくなるほどの歯痒さが付き纏う。
そして、もどかしさを誤魔化すために過去を無理矢理引き寄せては、ひどく鮮やかな喪失を繰り返す。

そんな愚かで無意味なことを幾度も繰り返している自分自身に、横倉は「情けない」とため息混じりに小さく苦笑し、自由を失った身体を横たえさせたまま、視線だけを小さな格子窓に向けた。
手の届かない遥か頭上。
そこには、忌々しく感じてしまうほどの雲ひとつない澄み渡った青空が広がっていた。

あぁ、綺麗だ、と純粋に思う。
投獄され、詰問という名目で拷問を受け続ける日々だというのに。
ひどく穏やかな気持ちに満たされる。

「…ふく、ちょ…副長……」

幼子が母親を恋しく想って慕わしげに何度も口にするように、ひどく切なげに呼ぶ。
応えはないが、それでも、横倉は縋るように呼び続けた。

開けているのも億劫になってきた瞼を閉じれば、その裏に、まるで今もそこにいるかのように鮮明な姿の彼がいる。

「あなたは、知っていましたか?」

手を伸ばせば届きそうな距離に立っているというのに、決して届かない歯痒さともどかしさが横倉を苛む。
だが、確かにそこに在るというだけで、同時に心が凪ぐ。

永遠に喪われたはずの存在。
しかし、決して永遠に喪われることのない存在。
不滅のものなど限りなく無に等しいこの世界で、命が消えてもなお輝きを失わない存在が胸の中に居る。

「俺たちにとってあなたはどれほど大きくて、かけがえのない存在であったか…」

拠り所と言うに相応しい存在だった、と心の中で付け加える。

縋る場所、ではない。
拠る場所だ。
己の全てを賭けて、捧げて、傅き、そうして全身全霊で共に生きることを渇望させる場所だった。
戦いに負け、退くことしかできなかったとしても。
帰り着く先がそこであるのなら、勝敗などどうでもよかった。
四肢が欠けたとしても。
そこに帰ることができたのなら、それだけでよかった。

今もまだ、それは変わらない。
いや、なお一層に。
拠り所となった、と横倉は痺れて思うように動かない手を何とか懐に持っていく。
そこから、褐色に染まったボロ布を取り出す。
誰の目にも、古びた布の端切れ程度にしか映らないだろう。
だからこそ、自分を“賊軍”として捕えた者たちに取り上げられることもなく、今もこうして横倉の手の中にあった。

「……」

ボロ布を。
いや、かつては白地に鮮やかな赤で「誠」の一字が染め抜かれていたそれを。
彼が最期に散らした血で染まり、その上に自分の血が重なって元が何であったか今となっては横倉しか知らないそれを。
胸に、抱きしめる。

「副長…」

夢と現の狭間で、繰り返し繰り返し見るのは、世界の終焉の瞬間。

「副長、」

ひとりの武士が死んだところで、時代が壊れることなどない。
だが、横倉にとって。
そして、新撰組隊士にとって、土方歳三という男は世界そのものだった。

最期を実際に目の当たりにしたわけではないが、彼の死を聞いたあの瞬間。
横倉は、世界が壊れていく音を確かに聞いた。
その音に掻き消され、銃声も怒号も聞こえなくなった。
喪失というあまりにも残酷な現実を受け入れることができずに。
信じようともしないで、圧倒的な孤独と絶望に押し潰されて。
赤子が突然母の手を失って成す術もなく呆然とするように、しばしの間は、誰もが泣くことすらできなかった。

それほどに大きな喪失を、恐怖とも言うべき瞬間を、横倉は今でも繰り返し見る。
突然、時間も音も何もかも止まってしまい、崩壊した世界の中で喪失を繰り返すのだ。
横倉にとってそれは、呼吸をすることに等しい行為。
いや、儀式だった。
呼吸をするための、生きるための、ひとつの儀式。

繰り返し喪い、それでも決して消えはしない彼の存在が己の内にあることを確かめるための。
同時に、己の中で生きる彼を“殺さない”ために、生きなければいけない、と己に言い聞かせるための。

「土方副長…っ」

とうに枯れたはずの涙が、次から次へと溢れては頬を濡らしていく。

ついて来い、と。
静かに、だが大地を揺るがすほど力強いあの声で、そう言って欲しかったと何度願ったか。
凛と伸ばされた背を追いかけて、真っ直ぐに前だけを見つめるあの瞳に映るものと同じ景色を見ながら逝けたならば。
どれほど幸福なことだろう、と何度願ったか。
国でも、徳川でも何のためにでもなく。
ただ、土方歳三という男の傍で、あの男と共に生き抜いて、そうして死にたいと希った者は横倉だけではなかった。

何を捨てても、何を奪われても、何を失っても。
たった1人。
土方歳三という男だけは、喪えなかったのだ。

だと言うのに、今。
自分は繰り返し、彼を喪う。

「もうこれ以上…あなたを、喪いたくない…っ」

堪え切れなくなった嗚咽が、零れる。
情けない、と己を嘲笑う余裕もなく、横倉は土方の最期を看取った袖章であったものを握り締め、込み上げてくるままに頬を濡らした。

だが、不意に。
格子窓から吹き込んだ風が、それを拭うように頬を撫でた。
盛夏の濃い香りが、横倉の鼻腔を擽る。
まるで、泣くな、と叱咤された気がして。
横倉は重たい瞼を押し上げた。

「…っ、眩しい…」

光の波が押し寄せ、視界が一瞬白く染まる。
それはいつか見た光景によく似た、眩いばかりの世界。
あれを見たのは、いつだったか。

(あぁ、そうだ。あれは…)

今となっては、あれが最期の姿だった。
弁天台場に陣を置いた新撰組隊士たちに声を掛け、そうして、己に刻み込むように愛しげにひとりひとりの名前を呼んでいたあのときの。
「意地でも生きろ」と言って、微笑んだ彼が立っていたのは。
そんな眩いばかりの世界の中だった、と手を翳す。

ひどく鮮やかなまま脳裏に焼きついている、あの凛とした立ち姿。
「甚五郎」と優しげに自分を呼んだ、あの染み渡るような声。
決して色褪せることのないひとつひとつの光景が、触れられそうなほどの距離で甦る。

そして、寂寥と温かな何かが胸の中に込み上げてくる。
懐かしさ、と言うには近すぎる過去のことで。
どちらかと言えば、愛しさに近い感情が。

「意地でも生きろ、か…あの人らしい言い方だったな」

我武者羅に、みっともなくても、情けなくても。
誰かに謗られることになろうが、時代から取り残されようとも。
生きろ、と。

意地でも、何がなんでも、這ってでも生きろ、と。
そう言った土方の微笑みがあまりにも眩しく、焼きついてしまったことを恨めしく思う。
いや、憎しみにも近いかもしれない。
焦がれ、焦がれ、その炎に身が包まれるほど焦がれ、それでも燃え尽きることのない深すぎる愛しさは、憎悪にも似ている。

そんなことを思考の端で考えながら、血に染まった袖章をありったけの力を込めてぐっと握り締める。

「副長、見ていますか?俺は、ここまで生きてやりましたよ」

謂れのない罪に膝を折るものか。
真実を知らない者の罵倒に頭を垂れてなるものか。
この命が踏み躙られようとも、誇りだけは奪われてなるものか。

「意地でも、あいつらには負けないと自分に誓ったから」

尋問だと称してじわじわと肉体を痛めつけ、勝者の愉悦に浸っている者たちを思い浮かべ、「どうだ」と言わんばかりに口端を上げる。

「見せて、やりましたよ。俺の意地を…新撰組の、意地を…」

目を開けていられないほどの眩い光の波に、ふっと影が差す。
格子窓に鳥でも止まったのか。
雲が陽光を遮ったのか。
それとも。

「それなら、意地でも生きろよ」

もう二度と聞くはずのなかった声が聞こえた気がして、横倉はふっと微笑した。

「これが、俺の最期の意地です。あいつらに、見せ付けてやるんですよ」
「何をだ?」
「俺の、」

ぎしぎしと悲鳴を上げ続けている身体は、とうに自分のものではないかのように動かない。
だが、意地でその両腕を光へと伸ばす。

「新撰組隊士、横倉甚五郎の誇りに満ちた生き様を」

空へと差し伸ばした手を、誰かに握られた気がした。
そして、鳥が羽ばたいていったのか、雲が切れたのか、再び光が視界に溢れる。
今度こそ目を開けていられないほどの眩さに、横倉は瞼を閉じた。

あぁ、もう。
もう喪失を繰り返すこともなく、共に在れる。
眩い光に抱擁されながら、そう確信した横倉の眦から涙が一滴、零れ落ちた。

  さぁ、その眼に焼き付けるがいい。我らの気高き生き様を!


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戊辰戦争後、それぞれの道を生きることになった隊士たちの中で、横倉さんは獄中死を遂げました。
敗者の定めと言えばそれまでですが…。
でも、それがほんの少しでも救いになっていたらいいな、と。
土方さんを亡くして、あまりにも大きな喪失感に苦しんでいたとしたら…救いにも等しい死だったんじゃないか、と。

この人は死に様というより、生き様がかっこいい人だなぁ。
どことなく土方さんに似ている気がする。

絶え果つ=すっかり絶える、なくなる。
2006年1月18日生き様に惚れて初出/2013年8月16日命日に1日遅刻で再出


*ブラウザバックでお戻りください


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2013-08-16
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