TOP > スポンサー広告 > スポンサーサイト 小説目次 indice - 箱館新撰組 > 今も前を往く

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--------

今も前を往く

「お前は、どこまで共に来てくれる?」
「どこまでも」

銃声と悲鳴と怒号が飛び交う中。
まるで、神聖な儀式の一幕のように。
そこだけが隔絶されてしまったかのような凪いだ静けさが流れ、自分たちが立っている場所が戦場だということを一瞬忘れる。

「あなたの行く先ならば、異国の地であろうがどこまでも共に行きます」

交わり、重なった視線。
靭い光を宿した眼差しに負けぬように、真っ直ぐ見つめ返す。
と、不意にその黒曜石の瞳が微かに細められた。
歓喜というには切なげで、寂寥というには穏やかな、複雑な微苦笑が浮かべられる。
そうして、口端にそれを乗せたまま前を見据え直したその横顔を、立川はなおも見つめた。

いつだって凛と伸ばされた背中。
いつだって前を見据える眼差し。
いつだって美しく、いつだって光ある道への導き手である存在。

それはこれからも変わることなく、いつだって自分たちの前を走り続けるのだろう。
端整な横顔を、土方のその横顔を見つめながら、そう思う。

(どこまでも。たとえ…)

1歩踏み出した土方の後に続き、立川も1歩を踏み出す。
目指すは、弁天台場。
同志が篭城する、戦場。

言外に、そこへ共に行くか、と問うた土方に、何を今更と思わなくもない。
共に歩んできた時間は決して長くはないが、この北の地まで共にと願ったのは自分だ。
今更、彼が行くのを見送ることなどできようか。
できるはずが、ない。

(たとえ、この人がそれを望んでいなくとも…)

鳥羽伏見、甲州勝沼、会津での戦いを経て、そしてこの箱館までの道程を土方の傍で歩んできた。
新撰組隊士として彼に付き従った時間は確かに短いが、土方歳三という人間を知るには十分な時間があそこにはあった。

知らずにいたならば。
知らずにいられたならば、と今でも思うことがある。
もしも、知らずにいられたならば、その本質に触れなければ、彼の在り方を見なければ。
これほどに苦しむことはなかっただろうに、と。

しかし、人間というものは知らずにいることが幸せだと分かりながら、知りたがるものだ。
知ったことで得られる幸福が、知らずにいる幸福を遥かに上回る甘美なものだと本能的に分かっているのだろう。
たとえ、そこに多大な苦痛を伴ったとしても。
知ったことを忘れることなど、できないのだから。

(俺は、付いていきたい)

行くぞ、と土方が短く言う。
静かに、だが、澄み渡った青空の下で、それは力強く響いた。
この人が前にいるのなら、迷うことはない。
無条件でそう思わせるだけの声音に、立川は馬上の土方を己の瞳に、いや、魂に焼き付けるように見つめた。

そして、駆け出した土方の背を追う。
“陸軍奉行並”ではなく、“新撰組副長”として在り続ける彼の後を、新撰組隊士として追う。
願わくば、この先もそうであり続けたい、と刀の柄を握り締める。

「主税、」
「はい」

前を見据えたままの土方に名を呼ばれ、立川もまた土方と同じ方向を見つめたまま返す。

「お前に…お前たちに出会えてよかった」

思わず馬上の土方を見上げれば、前を見据えていたはずの彼の双眸と視線が交わる。
戦場にあるにはあまりにも相応しくない、ひどく穏やかな眼差し。
しかし、それがあったからこそ、誰もが意味を見失いかけた戦場であったとしても、たったひとつの希望だけは奪われることがなかったのだろうと思う。
いや、それは希望というには大きすぎる、光だ。

長き旅の道を行く者を見守りながら道標としてそこに存在している、月のような。
生命を育む慈愛の中に、俯く者を叱咤する包容力を持つ、太陽のような。
どちらにせよ、喪失に対する恐怖を抱かせるほどの大きな光。
絶対的な存在だ。

月や太陽に等しい、そんな存在だからなのか。
誰もが、意識や思考とは全く別の心の奥底の片隅で、信じていた。
嵐が来ようが、激しい風雨に晒されようが、空にはいつだって光があるのだから。
目の前のこの光も、失われはしない。
潰えはしない。
沈みはしない。
奪われはしない、と。

「主税」

たとえ、白刃の風が吹き荒れる中であろうが。
たとえ、銃弾の雨が降る中であろうが。
月や太陽がそうであるように、絶対的な存在である彼もまた、失われるはずがない、と誰もが信じていた。

傷を負えば血が流れ、血を流し過ぎればあっけなく息絶える。
そんな脆い生き物であることに、変わりはないというのに。

「ありがとう」

優しい、ただただ綺麗な微笑みを浮かべた土方に、立川は肺に流れ込んできた煤けた空気を吐き出すのを忘れた。
硝煙の苦い匂いが口内に広がり、それを半ば無理矢理飲み下す。
だが、それが胸を侵すよりも早く。
立川を、1発の銃声が襲った。

飛び交っていたはずの数多の銃声と怒号が、消える。
瞬きすらできなくなり、胸が抉られる。

「…っ、ひ、じかた、さん……」

いつだって凛と伸ばされ、いつだって自分たちの前にあった背中。
その背中が、ゆっくりと傾ぐ。

あぁ、これが自分の最期に見る景色だったなら。
どれほどよかっただろう、と思わずにはいられない。

「…嘘、だ…嘘ですよね…」

同志の耳を劈くような悲鳴が遠くで聞こえたが、立川には自分が立っていることさえ理解できなかった。
一体、何が起きたのか。
冷静に受け止めている自分の自分を諭す声が聞こえた気がしたが、耳を塞ぎ、無意識に自分の馬から下りて駆け出す。
自分を制止する誰かの声を振り払い、立川は縺れる足を叱咤しながら走った。
何発もの銃弾がひとつも掠ることなく、後ろへと流れていく。

「…土方さん…土方さん…ッ!」

血を吐くかのような悲痛な立川の叫びが、刃となって空を貫く。

「土方さん!」

煤焦げた空など、いますぐ崩れ落ちてしまえ。
光を失った空など、壊れてしまえ。
そうして、この世界の全てを終わらせてしまえばいい。
冷静なもう1人の自分が、そう呟く。

「弁天台場に…新撰組を助けに行くのでしょう!?だから、早く…お願いです。目を、開けてください!」

足を縺れさせながら駆け寄り、その身体に腕を伸ばす。
誰にとっても必要な、唯一絶対的な存在として君臨していた人。
その人の身体を抱きしめれば、簡単に手折ってしまえそうなほど細く。
長い睫を伏せる容貌は、はっとするほど美しく。
抱き上げれば、その軽さに驚いた。

誰よりも多くのものを背負い、誰よりも先頭で、誰よりもひた向きに走ってきたこの人は、これほどに華奢な存在だったのか、と。
軍神と畏怖され、かつては鬼と揶揄されてきたこの男は、これほどに綺麗な存在だったのか、と今更思う。

「…っ」

これ以上、この綺麗な身体を傷付けさせはしない。
何者にも蹂躙させはしない。

ただその一心で、立川は土方を腕に抱き上げた。
そして銃口に背を向け、彼と共に駆けて来た道を戻る。

「立川さん!こっちです!」

“誠”の一字を白く染め抜いた腕章を付けている面々を見つけ、とうに息が切れて悲鳴を上げている身体を気力だけでそこに走らせる。
招かれるまま廃屋の裏手に回り込み、北の地にも等しく訪れる初夏の気配を感じさせる新緑の上に、土方を横たえた。

「副長!しっかりしてください、副長…ッ!」
「土方さん!」

土方に縋り付き、口々に泣き叫ぶ同志たちの傍で、立川は何とか呼吸をした。
当たり前に繰り返していた行為ですら、意識しないとできなくなってしまいそうで。
身体の中でのた打ち回っている激痛に、じっと耐える。
心が上げる悲鳴を聞いていなければ、気が狂いそうだった。

「……どこまでも、共に…」

あなたが逝くというのなら、共に。
立っていることもできなくなり、地に膝を付き、懇願するようにそう呟く。
それは慟哭する者たちの耳に届くこともなく、掻き消される。
しかし、立川の懇願に応えるように、伏せられていた長い睫がふるりと震え、弱々しいながらも確かな光を宿している黒曜石が再び現れた。

真っ直ぐに、射抜かれる。
許さない、とでも言うかのような力強い眼差しに。
そして、誰もが瞠目するほど穏やかで優しげな微笑みが浮かべられ、血の気を失った唇が微かに言葉の形を象った。

「生きろ」、と。

(あぁ…あぁ、何て残酷な命令を…俺たちがあなたを裏切れないことを知りながら…何て…)

誰もが、言葉を失う。
希望よりも遥かに絶対的な存在を失い、それでも、「生きろ」と言うのだ。
一度知ってしまった光の温かさを奪われ、果たして自分たちは正気でいられるだろうか、と思う。
立川は、いや、その場にいた誰もが、嘆いた。
知らずにいたならば、知らずにいられたならば、たったひとつの喪失にこれほどの苦痛を感じることはなかっただろうに、と。
大きすぎる絶望に、嘆いた。

だが、同時に。
ひどく優しい眼差しをその場にいるひとりひとりに向け、そうしてもう一度だけ唇だけで「生きろ」と紡いだ土方に、確信する。
この男に全てを捧げ、付き従ってきたことは。
苦痛を伴うと分かっていながら、この男を知りたいと思ったことは、間違いではなかった、と。

「土方さん…あなたと共に生きられたことを、誇りに思います」

美しい微笑みを湛えたまま、土方の瞳がそっと閉じられる。
それは、立川たちにとって紛れもなく、土方という存在を中心に回っていた世界が終わりを告げた瞬間だった。

立川の頬を涙が濡らす。
嗚咽が耳を濡らす。
だが、胸を抉る激痛と喪失の哀しみを包み込むんだのは、絶望ではなく。

「あなたは俺たちの誇り…そして、光です」

共に歩んできた時間と交わした言葉と共有した痛みと喜びが、胸の中で灯る。
それは、月に飲み込まれ、太陽に焼かれてしまうほど微かな、小さな光だった。
旅人を導くには頼りなく、俯く者を叱咤するには弱々しい星のような光。
だが、それでも。
優しいその光は、残酷な命令に従わせるには十分なものだった。




「あれから30年以上が経ちましたが、あなたのことを忘れさせてくれるほどの人間に出会えませんでしたよ」

いつだって凛と背筋を伸ばし、真っ直ぐに前だけを見据え、その細い身体には大きく重過ぎるものを背負いながらも決して揺らぐことなく。
いつだって、今この瞬間も光であり続ける男。

形を失ってもなお、艶やかな輝きを翳らせることもなく、今も導くかのように前に在り続けているのだ。
そんな存在は彼の他にいるはずもない、と思う。

「あなたを裏切ることなどできるはずもなく…」

弁天台場で篭城し、最後まで彼が来るのを待ち続けていた者たちは、その待ち人が永遠に来ないことを知り、喉が潰れるまで泣き叫んだ。
誰もが、喪失の哀しみに打ちひしがれ、涙で濡れた頬を拭うことも忘れ、ただただ慟哭した。

それでも、誰の瞳からも光は消えなかった。
泣き腫らした瞳には、鮮烈に焼き付いている土方が確かに映っていたのだ。
「生きろ」という言葉を遺して逝ったはずの彼は、死してなお自分たちを導き続けるのか、と誰もが改めてその存在の大きさを痛感した。

いや、今でも。
刀を握っていた手に数珠を持ち、剃髪して世俗から遠く離れた今も。
何十年の時が経った今でも、色褪せることはない。
むしろ、濃くなっているとさえ思う。
土方歳三という男と出会い、共に歩むことができた幸福感は己の血肉となり、細胞にまで沁み渡っているのだ。

「土方さん、」

袈裟を纏った立川は、己の死の瞬間まで決して消えることのない激痛と幸福感で溢れる胸に右手を当てた。
掌に、鼓動が伝わる。

「あなたの残酷で、あまりにも優しい命令が、俺を生かしています」

まるで、本当に光であったかのように、土方の遺体は何人にも蹂躙されることなく消えた。
北の大地のどこに眠っているのか。
そもそもあの大地にいるのかも、もう誰にも分からない。

ただ、と立川は土方の戒名が掘り込まれた位牌を見つめる。

「あなたは今も、俺たちの前を走り続けている」

それだけは確かで。
それだけが確かならば、それでいいと思う。

「だから、俺は今日も生きます」

頬を優しく撫でた薫風に、立川は瞳を閉じた。
そして、瞼の裏に、魂に焼きついた、土方の気配を。
月や太陽の靭い光に飲み込まれてしまうほど、微かで小さな光を。
どんなに遠く小さくとも、確かに自分たちの胸に灯って導いているそれを、今日も追う。
前を歩き続けるその背中を、追い続ける。

どこまでも共に、彼の人と生くために。

  そうしていつか、本当の喪失し続ける夢に終わりを迎えるまで


web拍手 by FC2

***
忠誠を誓ったからと言って、その後の人生を捧げて弔い続ける必要はない。
でも、立川さんはそうした。
それは他人に理解できないくらい深い想いで、そこまで想える人と出会うことのできた彼は幸せだっただろうな、と思います。
実際のことなんて今となっては誰にも分からないけど…。
でも、弔う気持ちって時に生きている人を愛する気持ちよりもずっとずっと深くて大きくて重たいものだと思う。

2006年3月23日立川さんに惚れて初出/弁天台場が降伏して144年目の2013年5月15日再出

*ブラウザバックでお戻りください


スポンサーサイト
2013-05-15
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。