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やがて軌跡は終わり、そして

「おいで」

まるで、犬か猫でも呼ぶように。
いや、どちらかと言えば、歩くことさえままならないような幼子を呼ぶように手招く土方に、市村は子ども扱いをするなと文句のひとつでも言ってやろうかと口を開く。
だが、その唇が言葉を紡ぐことはなく。
自分を真っ直ぐに見つめる土方の穏やかな表情に、口を噤んだ。

京の都を駆けた青狼には、あまりにも不釣合いなその表情。
だが、無条件で安心感を得ることのできる優しげな微笑に、市村は手招かれるまま歩み寄る。

「鉄之助、」

“鬼の副長”がいなくなったわけではない。
一度戦に出れば、彼は誰よりも凛と立ち、刀を携えた荒々しくも美しい戦神となって駆けてゆく。
新撰組副長から陸軍奉行並と肩書きこそ変えたが、自分たち新撰組隊士にとって彼は、不変の存在だった。

そう、たとえ。
“鬼の副長”が、時に厳しくも海容の優しさで包み込んでくれる父のような人であったとしても。
時に、その命の全てで守り慈しんでくれる母のような人であったとしても。
それもまた、彼の本質だと知っているから。

「おいで、鉄」

その身の内に招き入れるように、「鉄」と愛称で呼ばれる。
無意識の内に歩幅が大きくなっていることに気付き、市村は内心で苦笑を落とした。
そして同時に、“鬼”と恐れられた土方の素顔が向けられていることに優越感を抱くことくらいは許されるだろうか、と思う。

何もかもを閉ざしてしまうほど分厚く降り積もっていた雪は解け、陽射しにはようやく初夏の気配を感じるようになった。
土の感触が随分と懐かしく、思わずたっと駆け出す。
転ぶなよ、と瞳を細めながら小さく笑う土方の表情は、まさしく飼い主か親のようで。
呼ばれただけで無性に嬉しくなって駆け出している自分は、まさしく犬猫か幼子のようだ、と思う。

だが、今はまだそれでもいい、と自分の中で大人になろうと無理に背伸びをしているもう1人の自分に言い聞かせ、市村は土方に駆け寄った。

「土方先生」
「うん」

よくできました、と言うかのようにくしゃりと頭を撫でられ、その擽ったさに口許が緩む。
土方もまた、ひどく優しげな眼差しをしていて、それを見上げた市村は胸がきゅうっと何かに締め付けられた。
思慕というには深く、憧憬とも別のもの。
敬愛でもあり、恩愛でもあり。
しかし、それらとは何かが決定的に違うもの。
水や酸素を求めるような本能的な渇望と言ってしまうには容易だが、そんな言葉では足りないほどの。
あまりにも強く、深いもの。

それは、たとえば。
生き別れた母と子が全く別の国で全く違う生活を送っていながら、互いにとって遠い異国の地で擦れ違った瞬間に、探していた存在だと気付くような。
顔も名前も声すらも覚えていないというのに、探していた大切な人だと一瞬で分かるような。
そんな、絶対的な絆と愛情。

(こんなことを思うのは、おこがましいかな…でも、そうであったら……)

どんなに幸福なことだろう、と思う。

「伸びたな」
「え?」
「背が伸びたな」
「そ、そうですか?」
「このままだと、あっという間に抜かされそうだ」

悔しそうな口調で、だが、どこか嬉しそうな表情でそう言う土方を見上げる。
いつか、彼と肩を並べ、同じ目線で同じものを見つめるときが来るのだろうか。
明日ですら思い描けない日常に慣れてしまった市村にとって、土方の語る未来は果てしがないほど遠いもののようで。
しかし、そんな未来が訪れるのならば。
1日でも早く、彼の見つめる先に何があるのか見てみたい。

そう思いながらじっと土方を見上げていると、徐に腕を引かれる。

「土方先生?」
「うん」
「あ、あの…これは、ちょっと、その…っ」

ぐいっと引き寄せられ、土方の隣に立たされた市村は後退を試みるも、彼の手はそれを許さない。

小姓として彼に付き従う市村の立ち位置は常に、彼の1歩斜め後ろだった。
1歩後ろ。
それは、手を伸ばせば届く距離だ。
前を歩く彼の背中を見つめていられるその距離は、何よりも自分を安心させた。
躓けば、手を差し伸べてくれる距離。
少し遅れたとしても、大雨や吹雪で視界が悪くなったとしても、決して彼を見失うことのない距離。
迷子になるのを怖がっている幼子が親の後ろを付いて歩いているようだ、と揶揄されたこともあるが、市村にとってそれは絶対的な距離だった。
そして、彼の1歩後ろは、己の居場所でもあった。

土方の隣が、彼の人たちにとってそういう場所であったように。

「せん、せ…」

不可侵の聖域、なのだ。
踏み込んではいけない、侵してはいけない神聖な場所。

「だ、だめです。僕には…」

その聖域を侵すことはできない、と抵抗してみるも、土方に敵うはずがない。
変わらずに優しい眼差しで見下ろしてくる彼の黒曜石の双眸の中に映り込んだ自分を見つけ、市村は思わず息を飲んだ。

あぁ、こうして彼が見つめた人は、もういない。
この聖域に立つことが許された人たちはみな、いない。

残酷で、しかし確かに現実である事実を思い出し、哀しみなのか寂しさなのか、そのどちらもなのか判断が付かない感情が込み上げてきた。
見上げる土方の端整な容貌が歪む。
自分の涙で。

「鉄の泣き虫はいつになったら治るんだろうな」
「せ、んせの、前で、だけです…っ」
「ふっ、そうか。それなら、思う存分に泣けばいい」

必死に堪えようとしたそれを許される。
促すように頭を撫でられ、上手く飲み込めずに行き場を失った嗚咽ごと抱きしめられる。

お前は剣よりも先に甘えることを覚えろ、と言われたのはいつだったか。
兄と離別し、故郷も家族も失くしたときだったか。
初めて、大切な仲間を目の前で喪ったときだった。
いつだったかは忘れたが、いつの頃からか、そう言ってこうして抱きしめられるようになった。

聡明で、優しく、誰よりも相手の心の機微に敏感で。
どんなに些細な不安や恐怖や苦痛も、決して見逃さない。
誰よりも武士として在る強い彼にとってそれは、“弱さ”であろうに。
「それでいい」と許容してしまう。
笑いたいときは笑って、泣きたいときは泣いて、哀しいときは哀しいと言えばいい、と。

(縋らせてくれるこの腕に、僕がどれほど救われて…どれほど、護られてきたか)

許されるままに甘えている自分が何を言っているのだ、とその度に自嘲するが、それでも。
自分がもう少し大人だったなら。
哀しみも辛さも上手く消化できるだけ大人だったなら、この人を護ることができただろうか。
己の苦痛を誰かへの優しさに変えられる大人だったなら、この人を護ることができるだろうか。

あやすようにとんとんと背中を撫でる温かな掌に、慈しみに満ちたその仕草に。
どこまでも優しいこの人を護りたい、とそう思わずにはいられない。

「なぁ、鉄」
「……っ、はい」

頬を濡らす涙をぐしぐしと袖口で乱暴に拭い、顔を上げる。
強く擦り過ぎて赤くなってしまった眦を、土方の指先がそっと撫でていく。

「鉄には今、何が見えている?」
「…先生です」

唐突な土方の問いに首を傾げつつも、見えているものをそのまま素直に答える。
だが、そう返された土方は一瞬瞠目し、肩を震わせながら笑う。
そうじゃなくてな、とくすくす笑らわれ、市村はますます首を傾げた。

少年の域から出るにはまだ早い市村のそんなあどけない仕草に眦を下げ、土方は成長過程にある華奢な身体を慈しむようにそっと抱きしめる。
そして、腕の中から解放してやると、その背中をとんっと押す。

「わ、先生?」

何かを抱えるには、あまりにも華奢な身体。
何かを背負うには、あまりにも小さい背中。

だが、近い未来。
この小さな身体で受け止めるには大きく重たいものが、彼の前に立ちはだかるだろう。
そして彼は、苦痛に堪えながらもそれを抱えていかなければならない。

「鉄、」
「はい?」

真っ直ぐに向けてくる双眸を見つめ返し、土方はふっと口許を緩めた。
彼ならば大丈夫だ、という確信を胸に。

「帰ろうか、鉄」
「え?あ、はい…それより、あの…」
「何だ?」
「どうして、僕が先生の前にいるんですか?」
「うん。ゆっくりでいいからな」
「え?」
「急ぐ必要はない。でも、追い抜けよ」

一体何を突然。
身長のことを言っているのだろうか。
脈絡のない土方の言葉に振り向いた市村は、拭ったはずの涙が再び込み上げてきそうになった。
これ以上泣き虫なところを見せられない、と慌てて前に向き直る。

その背中に、今までに見た中で最も優しく温かな彼の眼差しを感じた。
ただ優しいだけではない、どこかひどく哀しげで辛そうな。
しかし、それ以上に、愛情に満ちた眼差しを。

「胸を張れ。前だけを見つめて歩いて行け、鉄之助」

市村はこの日、初めて土方の前を歩いて帰った。
宿舎までの決して長くはない道程を。
けれど、果てしなく遠く感じた道程を。




そう、あの日。
土方の前を歩くという不安に駆られて、何度も振り返った。
そこに彼がいるのか確かめるために、何度も。

(そんな僕に、突然いなくなったりしない、とあなたは言っていたのに)

あの日、何度もそうしたように振り返る。
苦笑を浮かべて、「ちゃんとここにいる」と言った土方は。
そこに、いない。

「……」

1つの戦争と共に1つの世界が終わり、望んでなどいなかった世界が始まった。
そうして季節は廻り続け、記憶の中の土方の身長もとうに抜いた。
彼と同じ目線の高さで、同じものが見られるようになったというのに、彼はいない。
ただただ、喪失の痛みだけが残った。

「土方先生…」

決して見失うことのない距離にあった彼の背中は、自分を何よりも安心させた。
それを見つめ、追いかけ続けることが自分の存在意義でもあった。
だからこそ、それを喪ったと聞いたとき、歩けなくなった。
いつだって導くように前を歩いていたその人を喪い、どうやって歩けばいいのか分からなくなったのだ。

しかし、そのときに気付いてしまった。
あのとき、土方が何故自分を隣に立たせたのか。
ゆっくりでいいから追い抜け、というあの言葉の心意を。
気付かずにいられる子どものままでいることを、時間は許さなかったから。

「先生…」

いつか喪われるものを追いかけるのではなく、それを追い抜いて歩いて行け。
前を歩く自分を喪ったとき、市村が成す術もなく立ち止まってしまわないように。
「お前は生きろ」と、市村にとっては残酷とも言える言葉を口にする代わりに。
土方は己の隣に立たせ、そして、前を歩かせた。
生きて行け、と。
心の中でそう願い、祈りながら、前を行く自分の背中を見つめていたに違いない。

「先生には今、何が見えていますか?」

あのとき、そう問われた自分は見たまま「先生が」と答えた。
だが、今なら分かる。
彼のあの問いに、どんな想いが込められていたのか。

「きっと、僕は今…あなたと同じものを見ています」

誰よりも真摯に前を見つめていたあの黒曜石の双眸には、何が映っているのだろうといつも思っていた。
1歩斜め後ろに立っている自分には見えないものが、見えているのだろうか。
同じ目線に立つことができたなら、同じものが見えるだろうか、と。

そして、今。
同じ目線で、前を見る。
喪失に喪失を重ね、それでも誰よりも気高く生き抜こうとしていたあの力強い双眸には、未来でも死でもなく。
誰よりも真摯に、真剣に、真っ向から、“今”を映していたに違いないと確信する。
そうして市村もまた、“今”を見つめる。

その背中を、とんっと何かに押された気がした。
あの日、土方の手にそうされたように。
だが、市村は振り返ることなく、口許に笑みを乗せた。

「見ていてください。僕は胸を張って、前だけを見つめていきます」

1歩、踏み出す。
背中に、あの日感じた土方のひどく優しい眼差しを感じる。

市村はゆっくりと瞬きをし、そうして真っ直ぐに前を見つめた。
もしもこの場に土方を知る者がいたならば、「同じ眼だ」と感嘆しただろう。

「あなたの軌跡のその先を、僕は歩んでいきます」

東の空で、太陽が産声を上げる。
夜は朝の誕生を祝福するでもなく、黙したまま静かに去っていく。
やがて、1つの銃声が。
とある世界を壊された者たちの希望の戦いを。
絶望に終止符をもたらす戦いの始まりを、告げようとしていた。

  真っ直ぐ前を見つめるあなたの瞳には今、駆けていく僕の姿が映っていますか?


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***
一番多感な時期に“土方歳三”という強烈な存在感を持つ人の傍にいたんだから…。
それはもう必然的に、鉄くんはその人の進んだ道を選んだのだろうなぁ、と。
戦争に良いも悪いもないけれど…。
西南戦争は、ある意味ではそういう人たちにとって救いだったんじゃないかな、と思います。

2008年9月17日たまには真面目に初出/2013年9月24日西南戦争終結136年目に再出

*ブラウザバックでお戻りください


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2013-09-24
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