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いで気高く、

人間の往く先を、天の高みから見下ろしている者がいるという。
彼の者は、己が思うが儘、運命と呼ばれる1本の糸を使い、人間たちの往く道を操っているらしい。
ならば、自分はその誰かに感謝をしなければいけないな、と安富は口端に薄っすらと微笑を浮かべた。

「安富才輔!」

その名を呼ぶ人間は限られる。
かつて、その名を呼ぶ声音に導かれるように発った江戸の地を再び踏み、数日。
一体誰だろうか、と振り返るまでもなく、チリチリと頬を掠める懐かしい感触に安富は己の神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。

向けられる殺気に、全身の神経が鋭利な刃物のように鎮まる。
そして、凍てつく冬の空気のようなものが。
無意識の意識下にあまりにも深く染み付いてしまっている、殺気に対する殺気が、全身を包み込む。

「ようやく見つけたぞ、賊軍の狗」

聞き飽きた罵声を背中に聞きながら、誰も彼も同じことしか言えないのか、と嘲笑を小さく落とし、安富は極限まで張り詰めている空気に妙な心地良さを感じていた。

(私も、結局はこの場所でしか生きられないようです)

久しく感じていなかった、呼吸さえ憚らせるほどの緊張感。
恐怖ではなく、歓喜で鼓動が高鳴る。

そんな自分自身に苦笑をひとつ落とし、ゆっくりと瞼を閉じた。
薄っすらと陽光を感じるそこに、かつてこの地で自分の名を呼んだ彼の人が鮮明に甦る。

凛と気高く、鮮烈で強烈な光そのものだった人。
海容の優しさを感じさせるその人の眼差しが、好きだった。
染み渡るようなその人の声に呼ばれることが、好きだった。
背筋を伸ばして立つ後ろ姿を見つめるのが、好きだった。
戦場を駆けていくその背を追いかけるのが、好きだった。

篝火の下で交わした他愛のない話の内容までもが。
馬上で散った血の赤さも、振りかざされた刃の美しさも、腕に抱き上げた身体の冷たさも、最期の瞬間まで凛と気高くあったその姿も、ひどく鮮明に思い出せた。

(土方副長)

その人は、光そのもの。
決して他人には踏み躙ることのできない、絶対的な領域そのもの。

今も凛と背筋を伸ばして自分たちの前に立っている姿を瞼の裏に焼き付けたまま、安富はゆっくりと振り返った。
それと同時に焼け付くような鋭い痛みを感じたのは、ほんの一瞬。
雲ひとつない青い空まで貫くように、深々と胸に突き刺さった白刃が視界の端に入る。
ずるりと体内からそれが抜かれると、鮮血が噴き出す。

あぁ、花の。
あの人が好きだった赤い梅の花のようだ、と鮮明に覚醒したままの意識の端で思う。
だが、白刃に貫かれた身体を支える力はすでになく、安富は地に崩れ落ちた。
衝撃が襲うが、痛みはない。
いや、痛覚もすでにないと言うべきか。

「無様だなぁ、安富」

蹲って防御する力もない身体を蹴り上げられる。
ごぼ、っと嫌な音と共に逆流してきたものを吐き出せば、せせら笑う声がその上に落とされた。

「…私の名を、気安く呼ぶな…安部、十郎……」

爪先で仰向けに転がされた安富は、ようやく視界に入った男を真っ直ぐ見る。
同じ旗の元に集った同志であったはずのその男を、敵と呼ぶべきなのか。
今となっては、もはやどうでもよく。

一瞬だけ息を飲んだ気配を感じさせたものの、怒りを露わにした眼で睨み返してくるその男に、安富はふっと小さく笑った。
この程度の威嚇は幼子のそれと同じ程度のものだ、と。

自分は、清水よりも純粋な、氷よりも冷たい本当の殺気を知っている。
あの人の獰猛な眼差しは、あらゆるものを傅かせるだけの光があった。
ただ怒りを滲ませ、荒々しさに飲み込まれた濁った禍々しい光ではない。
跪き、無条件で付き従いたいと思わせるに足る、静謐で美しい光を放っていた。

(そうだ、副長のあの光は本当に美しかった…)

ぐいっと髪を引かれ、無理矢理上を向かされた安富の瞳は目の前にいる安部ではなく、瞼の裏にいる土方を見つめる。
だが、激昂した安部は安富が自分を見ていないことになど気付くはずもなく、シニカルに笑う。

「狗が何を言っている」
「…悪いが、私は賊軍の狗になった覚えは、ない」
「お前たちは逆賊だ」
「私は、土方副長の添役…それ以下でも、それ以上でも、ない…っ」

わざと逆撫でするようなことを言ってやれば、髪を掴んでいる安部の手に力が入る。
喉がぐいっと反らされ、さすがに苦しくなって小さな唸り声が漏れるが、それを楽しむように狂気に満ちた安部の双眸が細められた。

「その土方は逆賊、近藤は罪人だ。無様に死んだ」

挑発のつもりなのか。
過去に自分の長でもあった土方と近藤を謗る安部に、安富は一切の表情を消す。
狂気に溺れ、復讐を果たす者の愉悦に浸っている阿部を見据え、そして、ひどく静かに「好きに言えばいい」と返した。

決して声を荒げているわけでもないというのに、周辺の音を消してしまうほど妙に響き渡る。
風が止み、葉が息を潜め、鳥たちは口を噤む。

「言いたいように言えばいい。あの人たちは、お前如きに…穢せる存在ではない」

そう、誰にも。
決して、何人にも蹂躙できない。

阿部は、淡々とそう告げる安富の片頬を拳で殴り飛ばした。
怒りで、ではない。
揺るぎない炎が轟々と音を立てて燃えている瞳を真っ直ぐに向けられ、その眩いばかりの清冽な美しさに視線を逸らせなくなった己を誤魔化すために。

「黙れ!負け狗が…っ!」

吠えることしかできない負け狗が、と繰り返した安部に、安富はくっと口角を吊り上げた。

「吠えているのはお前の方だ、阿部」
「貴様…っ!」

正直に言えば、安富にとって戦の勝敗などどうでもよかった。
官軍だろうが賊軍だろうが、負け狗だろうが、その言葉には何の意味もなかった。
安富だけではない。
あの北の大地で、土方の元に集い、“新撰組”の名を背負った者たちはみな同じ想いだった。

新政府に希望などなく、戦に意義などなく。
ただそこに“土方歳三”という男がいることが、自分たちの存在理由、意義そのものだったのだ。
故に、勝ち負けの結果でしか優劣を見極めることのできない安部の侮辱で傷付くほど、穢されるほど脆弱な誇りではない、と自負している。

お前には居ないだろう。
己の全てを捧げ、付き従いたいと渇望するほどの存在は、きっと居ないだろう。
お前は知らないだろう。
これほど強く誇りに想える誰かと巡り会えた幸福を、きっと知らないだろう。

内心でそうほくそ笑み、安富は自分を見下ろす安部の向こうにいる土方を見つめる。

「誰かに手折られるような誇りなど、こちらから願い下げだ」

たかが形を喪った程度で、見失ってしまうような生半可な誇りも。
苦痛に堪えられずに捨ててしまえるような、安い誇りも。
己の命が消えただけで共に消えてしまうほどの、軽い誇りも。
“土方歳三”という壮絶な光を知らない者に理解されるほど、薄い誇りも要らない。

「私たちが抱いているのは、この大地にも、あの大空にも勝る…深甚な、誇りだ」

この胸からそれを奪えるのなら。
それを穢せるのなら。
さぁ、今すぐにでも奪って穢してみるがいい。

できるものならば、と続けた安富が見たのは、安部の狂気に支配された顔と。
自分の胸から流れた血で濡れた、白刃。
武士と呼ばれていた近い過去の生き物の命であったそれが、鮮やかな煌きと共に突き立てられる。

(あぁ、これで…)

見下ろす安部がいくつか言葉を吐き捨てたが、ひどい雑音がそれを遮断する。
やがて、安部とその雑音が遠ざかると、訪れたのは耳鳴りがするほどの静寂だった。

(これで、やっと…)

雪に閉ざされた北の大地でさえもなかった、全くの無音。
ただただ白い光が視界に溢れる。

思うが儘、運命と呼ばれる1本の糸を使い、人間たちの往く道を操っているという名前も知らないその誰かがそこにいるのなら、感謝しなければ、と目を凝らす。
しかし、そこにいたのは。

(あぁ、やっと…あなたの元に、帰ることができるのですね)

痛みも苦しみもない。
あるのは、震えるほどの歓喜。
噎び泣きたくなるほどの、強い歓喜だけだった。

(この日を、どれほど待ち望んだことか…)

早すぎるぞ、と叱責するように。
それでも、どこか嬉しそうな表情を浮かべ、「才輔」と呼ばれた気がした。

そして、この江戸で出会ったときのように、手が差し伸べられる。
決して大きくはないというのに、ひどく安心できる優しい手。
多くのものを奪われ、奪ってきたそれに安富も手を伸ばす。

(気高く、誇り高く、最期のその瞬間まで胸を張って生き抜け)

いつだったか、自分たちに語り聞かせた土方の言葉を反芻しながら、安富は差し伸べられた手を握った。

生き抜け。
行き抜け。
逝き抜け。

彼の願いは、たったそれだけだった。

(誇りを抱いて…私は生き抜くことができましたか?)

まるで、それに応えるように。
微笑みによく似た皐月の穏やかな風が、安富を抱擁した。

それは、1年前の今日。
誰よりも気高く、誇り高く、その最期の瞬間まで生き抜いた土方を抱擁したものと同じ、ひとつの世界の終焉を告げる優しい風だった。

  あなたの傍に居ることが全てだったあの頃の、ひどく優しい景色が


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この人は、何かもう理由もなしに全てが好きだ!
島田さんや相馬さんもうそうだけれど、安富さんには普通の感覚では理解できないくらいの想いがそこにあったと思うんだ。
生死すらどうでもいいくらいの、“何か”が。
きっと、彼らは“命”を賭けて戦っていたんじゃない。その“何か”のためだったと思う。
簡単な言葉を使うなら、その“何か”は“誇り”と言うのだろうけれど。
多分、普通の世界で生きてきた普通の人が普通の感覚で理解できないほどの…やっぱり、当事者ではない人には“何か”としか言いようのないものが。

いで=さぁ
2006年2月27日追悼企画で初出/改めて安富さんに惚れた2013年5月31日再出


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2013-05-31
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