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オルニスは地上で恋をする

「ここは、いつから託児所になったんだ」

呆気に取られた顔でそう言う男に、言われた橘の方が呆気に取られた。

「は?」
「仔犬がいる」
「……お前、疲れているのか?」

国際線の旅客機を預かる者の証である金の翼を胸に付けたその男の突拍子もない発言に、決して美味しいとは言えない紙コップのコーヒーに一時の別れを告げ、橘は顔を上げた。

整備ハンガーとガラス1枚で隔てられているだけのこの休憩室の安い椅子にゆったりと腰掛けている、制服姿のその男。
悪友であり同僚でもある彼、本郷の表情筋が珍しく本来の役目を果たしていることに驚きつつ、橘は彼の日本人離れした恐ろしいほどに整った容貌をまじまじと見た。
イタリア人の祖父を持つクォーターである彼には、その血が強く出たようで。
限りなく黒に近いが、決して黒ではない色の瞳が見つめる先を追う。

どこか冷たい印象すらも抱かせる、鋭い双眸。
真っ直ぐに空を見つめるそれが、今は別のものを真っ直ぐに見つめている。
空でも、整備ハンガーに並ぶ機体でもなく。
ひとりの、青年を。

「仔犬、ってお前なぁ…」

整備工具の入ったケースを抱え、同僚たちに囲まれた中心で笑っている青年。
確かに、無邪気な笑みを惜しげもなく振りまくその姿は、懐こい子犬がぶんぶんと尻尾を振っているそれと重なる。
あるはずのない犬の耳が見えた気がしたのは、当然気のせいだ。

こいつが変なことを言うから、と内心で文句を落としながら、「新しく入った子だ」と続けてやる。

「へぇ…」
「新人だけど、うちの精鋭だぞ。最年少で一等航空整備士になるだろうな」

航空機の整備士には、整備全般を行う航空整備士と、その下位の航空運航整備士がある。
それぞれ、一等・二等と分類されており、その権限が細かく分類されている。
中でも取得が難関とされているのが、最高位の一等航空整備士だ。
二等は専門学校で取得できるが、一等を取得するためには一定の年齢と4年以上の実務経験が必須となる。
しかし、条件を満たせば取得できるものではなく、難関と称されるに相応しい狭き門だ。

だが、あの子は条件を満たせさえすれば、難なくそれを手に入れるだろう、と続けた。

「あれが?」
「あぁ見えて、あの子…悠太は、A&Pを持っているぞ」
「……まさか」
「マジで。卒業後に留学して、アメリカで取得している」

日本に飛来する国外の航空機を整備するためには、国際的な基準を満たさなければならない。
そのためには当然、一定期間の教育と訓練が必要となる。
それをあの青年、悠太はクリアし、アメリカ連邦航空局認定の航空整備資格、つまり、A&Pを取得していると言えば、視線はそのままの本郷の整った片眉が微かにピクリと動いたことに苦笑する。

「悠太はアメリカの超有名航空学校を出ている正真正銘のエリートだ」

パイロットとして機体と何百という命を預かる本郷は、こうしてフライトの合間を見つけてはわざわざ整備ハンガーへ足を運ぶ。
義務としてではなく、本当にひとつひとつの機体を大切にしているのだ。
フライトの前には自分が飛ばす機体をその目で見、長い空の旅を終えて疲れを癒している機体の様子を見に来る。
そんな本郷が、腕の良い整備士と聞いて反応しないはずがない。

(まぁ、ここまであからさまな反応を見せるのは珍しいが)

整いすぎた容貌は、それだけでも怜悧な印象を受けさせる。
淡々とした表情に感情を乗せなければ、なおのこと。
だが、だからこそ微かな表情の変化はその印象を一転させるだけの力を持つ。

青年を見つめるその眼差しが、ひどく優しげなものだということに。
そして、常に纏っている他者を跳ね除ける冷たい空気が、温かなものに変わっていることに。
本郷自身は、気付いていないだろう。
あまりにも珍しいその本郷の姿に、橘は彼には気付かれないように口端に微笑を乗せた。

しかし、諸手を上げて喜ぶべきことなのだろうか、とも思う。
滅多に表情筋を使うことのない男があからさまな反応を見せ、優しげに見つめている先にいるのは。
生来の人懐こさであっという間に馴染み、気が付けば整備クルーたちにとっても自分にとっても可愛い弟のような存在になっていた青年。

「なぁ、本郷。お前、確か…」

だが、次に続けようとした言葉は紡がれることなく。
不意に視界にちらちらと入ったものに意識を持っていかれ、橘はそちらに目を向けた。
いつの間に同僚たちの輪の中から抜け出したのか。
自分に向かってブンブンと手を振る悠太の丸い瞳と視線がぶつかった。

手を振り返してやれば、幼い印象を与える丸く大きな瞳が嬉しそうに輝き、駆け寄ってくる。
整備ハンガー側からも出入りができるように付けられている引き戸が開けられ、ひょっこりと覗き込む。
それが、昔実家で飼っていた犬が縁側から顔を覗かせ、「そっちに行きたいな、行ってもいい?ダメ?」と言うかのように円らな目で訴えてきた様子に似ていて。
幼くも愛らしい仕草に、笑みが誘われる。

「律先輩、」
「おぅ、悠太。どうした?」

おいで、と手招いてやれば、満開の笑顔を咲かせて駆け寄ってくる。
だが、その足は途中で止まることになる。
パイロット制服姿の本郷がそこにいたから、ではなく。
彼に、痛いほど見つめられていることに気付いて。

ピンと立っていた犬のそれが、困惑でしゅんと垂れたように見えた。
作業着のツナギの後ろでは、音がするほど振られていた尻尾がくるんと巻かれていることだろう。

「本郷、うちの子を怯えさすな」
「あ?」
「お前、目つき悪いんだから。悠太が怖がっているだろうが」

限りなく黒に近いが日本人の持つ黒とは違う色を宿した鋭い瞳は、端整すぎる冷たい容貌も相俟って誤解されることも少なくはない。
睨まれている、嫌われている、と。
表情豊かであれば全く違う印象を与えるだろうに、損な性格だなと何度揶揄ったことか。

内心では悪態を吐いているだろうに、口では言わずにふいっと視線を逸らした本郷に小さく苦笑し、改めて「おいで」と悠太を手招く。

「何かあったか?」
「え、あ、これ!今日の報告書です。サインお願いします」
「はいよ。ちょっと待ってな」

差し出されたそれを受け取り、ざっと目を通していく。
必要な箇所には書き込みを入れ、サインの欄にペン先を向けた。
と、不意に悠太の珍しく遠慮がちな声音が聞こえ、その手を止める。

「?」

自分に呼びかけたのかと思い、報告書から顔を上げる。
しかし、橘が見たのは、地毛だというブラウンの髪がキャップからはみ出て跳ねている悠太の後ろ姿だった。

それはつまり、本郷に顔を向けているということで。
自分ではなく本郷に声を掛けたのか、と気付き、瞠目する。
それは、声を掛けられた本郷も同じようで。
決して短いとは言えない付き合いの中で初めて見る表情で、悠太を見上げている。

「あ、あの…」
「………」
「えっと、その…機体に、何かありましたか?」

こてん、と首を傾げる悠太に、面食らったままの本郷は「いや」と否定を返すことしかできなかった。
だが、悠太は多くの言葉よりもその一言を欲していたようで、ふにゃっと頬を緩める。

「よかった。パイロットさんがここに来るのは珍しいから、何かあったのかと思っちゃいました」

本郷が自分のチームのリーダーである橘の悪友であることを知らない悠太にとって、整備士とパイロットのツーショットは彼の中でそんな推測を生んだらしい。
彼らにとってはそれが常だが、周りから見れば険悪な雰囲気に見えたのか。
和気藹々とした空気が微塵もない様子に、「何かあったのか」と不安になったのだろう。

しゅんとしていた耳が再び嬉しそうにピンと立ったように見えて、可愛い、と内心で呟いたのは果たしてどちらだったか。
無邪気な笑顔を向けられた本郷か。
あるはずのない尻尾が見えた橘か。

「機長さんは、機体を見に来たんですか?」
「本郷だ」
「へ?」
「確かに機長だが、俺は本郷だ」
「ほんごー、さん」

言い慣れない単語を口にするかのように、何度かもごもごと唇を動かす。
それがまた何とも愛らしく、本郷の口許が微かに緩む。

悠太に犬の耳や尻尾が見えた気がしたのは、間違いなく気のせいだ。
だが、本郷が悠太の頭をぐりぐりと撫で回したい衝動に駆られているような気がするのは、決して気のせいではないだろう。
微苦笑しながら、橘は「悠太」と呼びかける。
人懐こい笑みが向けられ、本郷の気持ちが分からないでもない、と思いながら、確認を終えた報告書を渡す。

「もう上がっていいぞ。お疲れさん」
「お疲れさまです。じゃぁ、お先に失礼しますね」
「おぅ、腹出して寝るなよ」
「オレは子供じゃないですって!あ、ほんごーさんも、お疲れさまです」
「…あぁ」

手を振り返してやる、という発想は本郷にはない。
愛想は欠片もない。
だが、悠太はその無愛想な態度をさして気にした様子もなく、笑顔を惜しみなく振り撒いて入ってきた引き戸とは反対側にある、廊下と繋がっているドアから出て行った。

ドアが閉まると同時に、無言が本郷と橘の間に落ちる。
照明は変わらずに皓々と白い光を放っているが、悠太がいた先ほどまでと今では、部屋の明るさがまるで違って見える。

(……不思議な子だったな…)

そこにいるだけで場の雰囲気を和ませ、明るくしてしまう存在。
そんな人間を、本郷は今まで知らなかった。

目が眩むほどの光を放つ太陽ではない。
もっと、穏やかな。
あぁ、向日葵に似ている、と思う。
太陽に愛され、陽光を享受する鮮やかな花。

(“ユウタ”、か…)

ぎこちなく、心中でその名前を紡ぐ。
何故か、その行為がひどく擽ったく感じた。

「…なぁ、本郷」

そんな本郷の心中を知る由もなく、橘は徐に沈黙を破った。
つい先ほどまで見せていた優しげな眼差しはすでになく、射抜くかのように鋭い本郷の双眸が向けられる。
纏う空気も常と変わらないものに戻っていることに微苦笑し、紡がれることなく放置されたままになっていた言葉を今度こそ唇に乗せた。

「お前、確かさ…犬、好きだったよな」
「……」

一瞬微かに瞠目し、それからシニカルな微笑を浮かべた本郷に、橘は弟のように可愛がっている後輩に心の中でエールを送った。
狩猟犬と呼ばれる犬たちは鳥も狩るが、まだ仔犬の彼が獰猛な猛禽類に狙われればどうなるか。

「それと、向日葵もな」
「は?」

猛禽類の瞳をした男の口から花の名前が出てきた意味を橘が知るのは、それからすぐのことである。




「だー、かー、らー」

橘は、愚痴なのか惚気なのか、それぞれが半分ずつ混ざったものを繰り返している本郷を蹴り飛ばしたい衝動に駆られていた。
大空を旅して疲弊した翼を癒している機体に凭れかかり、「何なんだ、一体」と呟いている本郷にため息を落とす。
「何なんだ、一体」と言いたいのは自分だ、と思いながら。

「土産は何がいいと聞けば、“海外の航空雑誌”、帰って来た俺への第一声は、“機体の調子はどうでしたか”だぞ」
「…別に、普通だろうが」

むしろお前は一体どんな答えを望んでいるんだ、と心の中だけで返す。
何故か、聞いてはいけない気がしたからだ。
本能的な危険信号は信じた方がいいに違いないだろう。

制帽を脇に抱え、両手をポケットに突っ込んで不遜な態度で立っている本郷をちらりと見、橘はこっそりと口許に苦笑ではないものを浮かべた。

(随分と人間臭い顔をするようになったものだな)

端整な容貌は忌避されることも多いが、それと同等に人が集まるものでもある。
特に、外見を重視する女が彼を取り巻くことも少なくはなく、無愛想な男だが、遊びに困ることは一度もなかっただろう。
そう、“遊び”だけは。
心が伴わないそれを繰り返す彼に、かつては友人として苦言を呈したこともあった。
だが、故意にそうしているのではなく、この男は“本気”になれないのだということにはすぐ気付いた。
この先もきっと、彼はそうあるだろう、とさえ思っていた。

だからこそ、今。
本郷の“本気”を、純粋に嬉しいと思う。
本気で誰かを想い、愛し、幸せを求める日々が来るだなどと、あの頃には想像できなかったのだから。

「あーあ、可愛い後輩をこんなおっさんに奪われたくねぇなぁ…」

それでも素直に喜びを告げるのは気恥ずかしく、口では悪態を吐く。

「失礼な奴だな、まだ30代だ。俺がおっさんなら、お前もおっさんだ」
「おっさんで結構。うちの子にちょっかい出すな」
「あれは俺のだ」
「まだ違うだろうが」
「…明日のフライトから帰ったら、手に入れる」
「はいはい、そうかよ。もう好きにしてくれ」

三十路を過ぎた男同士の子どもっぽいやり取りを止める者はここにはなく、いつまでも続いてしまいそうな応酬に橘がため息混じりにピリオドを打った。

2人の声の代わりに、滑走路に出た最終便のエンジンの轟音が整備ハンガーの空気を震わせる。
帰ってきた航空機を駐機場に誘導するマーシャラーの持つライトスティックの明かりが左右に振られ、その向こうでは貨物の積み下ろしを行うローダーが動き出す。
様々な明かりで溢れる滑走路に視線をやり、橘は小さく笑みを零した。

(散々惚気を聞かされた仕返しに、意地悪のひとつくらいはさせてもらうか)

だから、これは彼には秘密だ。

(お前が飛ばす機体を見送るとき…)

長い空の旅路に向かって羽ばたくそのとき。
それを見守るあの向日葵のような青年が、飛ばさんばかりにキャップを振って送り出しているということは。
そして、その唇が本郷の名前を紡いでいるということは。
地上に生きる者だけが知る秘密だ、と橘は大空に羽ばたいていった最終便を見送りながら小さくほくそ笑んだ。

  「いってらっしゃい。どうか、どうかその旅路に幸多かれ…」


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パイロットケース片手にレイバンのサングラスを掛けた機長さんに溺愛させる私服もツナギの工具マニアなわんこが私には見えたんだ。
とある空港の展望台のベンチに座っていたら!(←人はそれを妄想と言う)

オルニス(ギリシア語)=鳥
2009年3月9日空港で白昼夢を見て初出/白昼夢は妄想のことだと知った2012年11月7日再出


*ブラウザバックでお戻りください


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2012-11-07
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