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シックザールの幸ふ

「は?」

いつものように、同じ時間に家を出て、同じ道を歩き、同じように出勤し。
いつものように、秘書室長として支社長の1日のスケジュールを確認しようと向かった先。
そこに、岬の机がある…はずだった。

「おはようございます、室長」
「お、おはようございます…」
「支社長がお呼びですよ」
「え…」
「あ!リストラではありませんから安心してください」

一夜にして自分のデスクがなくなる。
という尋常ではない状況を前に呆然としていた岬は、同僚の無邪気な笑顔にやや引き攣った微笑で「そうですか」と何とか返した。

とりあえず、リストラではないことに安堵する。
だが、デスクがないことに変わりはない。
居場所がなければ、仕事もできない。
混乱しているのだが、その一方で冷静に状況を分析している自分自身に感心してしまう。

(まぁ、ここで考えていても埒が明かないことは確かですし…)

自分を呼んでいるという上司の元へ足を向ける。
少なくとも、部下のデスクがなくなった理由くらいは知っているだろう。

「おはようございます、四ノ宮です」

秘書室と繋がっているドアの前で声を掛ければ、ガターンと何かが倒れる音が返ってきた。
自分の上司は朝から執務室で一体何をしているのだろうか、と訝しく思いながらも、ドアノブに手を伸ばす。

「失礼します」

ドアを開けた先に、床に転がっている椅子を見つける。
何かが倒れたあの音の正体はこれだったか、と納得しながら顔を上げれば。
そこに、この世の終わりを見たかのような顔で立っている支社長がいた。

どんよりと空気が淀んでいるのは空調システムの故障ではなく、その原因が重たい空気を撒き散らかしているからだろう。
リストラではない、と言っていた同僚は笑っていた。
つまり、秘書として対応に追われなければいけない大問題が起きたわけではない。
ならば、この重たく淀んだ空気は一体。
「絶望」と顔に書いてある支社長に縋るような眼差しを向けられ、思わず入るのを躊躇ってしまう。

「み、岬くん…」
「はい?」
「君を失ったら、私はどうすればいいんだ…!」
「…は?」

今日2度目となる気の抜けた声が出てしまう。
だが、壮年の支社長はそれに構う余裕もないようで、今にもおいおいと泣き出してしまいそうな雰囲気で1枚の書類を首を傾げる岬に差し出した。
その手が微かに震えていたのは、きっと気のせいではない。

「岬くん、いつでも帰って来なさい。むしろ、こんな話は断りなさい。クビになったら私が個人的に君を雇うから!」

一気に捲くし立てている支社長の声をどこか遠く聞きながら、岬は手渡された書類に視線を落とし、自分のデスクが消えていたのを見たときのように固まる。
叫ばなかった自分を褒めてやりたい、と思ってしまったほどだ。

日本語ではなく、ドイツ語でタイプされたその書類。
読み間違いでもタイプミスでもなく、その書類には確かに、“辞令”という文字が並んでいた。

「移動…ですか?」
「行かないでくれ、岬くん!」

がしりと両肩を掴まれる。
ここまで熱心に引き留められるほど、自分の能力が買われていたことを喜ぶべきなのだが、そんな余裕は今の岬にない。

「…移動……」

職務は、社長秘書。
それは今までと変わらない。
秘書室でどの位置に立つのかは分からないが、肩書きなど岬にとっては重要ではない。
問題は、勤務地だった。

「ドイツ、本社…」

支社から本社勤務へ。
栄転に、違いない。

だが、いつものようにいつもと同じ1日を過ごすはずだった岬は、あまりにも急な展開に生まれて初めて頭の中が真っ白になるという経験をした。
堪えきれなくなったのか、とうとう「行かないでくれ」と泣きつく支社長に抱きつかれたまま、辞令書の端に手書きで書かれていた文字を見つめる。
そこには、バランスのいい丁寧な筆跡で、「早く俺の元に来い」と書かれていた。




確かに、“早く来い”と。
そう書かれていた。
わざわざ手書きで。

だが、と岬は微かに痛みを訴える米神に指を押し当てる。

(…これは、幾らなんでも…)

ありえない、と。
眼下に広がる雲の海原に、何度目かになるため息を落とす。

突然の移動辞令だけでも十分に自分を混乱させたと言うのに。
「行かないでくれ」と自分にしがみ付いて離れようとしない支社長を窘める同僚に渡されたのは、航空機のチケット。
支社長が破り捨てそうな勢いだったから取り上げておいた、というそこに記されていた出立の日付は、数時間後の便。
行き先は、ドイツ・フランクフルト国際空港。
意識を失わなかった自分に内心で拍手を送ったことは、言うまでもない。

(第一、すでにマンションまで用意されているなんて…)

ありえない。
それが、岬の率直な感想だった。

仕事の引継ぎや自宅の引き払いと引越しなどの雑務は、全て本社が片付けることになっているという。
無条件で与えられる破格の待遇と出世を純粋に喜ぶべきなのか、突然の移動を嘆くべきなのか。

(…はぁ、もう考えるのは止めよう)

門出に立つ者を大いに祝福する青空も、岬にとっては嫌味に見える。
順調に空を行く機体に括り付けられ、現実へと引きずられていく感覚に岬は半ば諦めにも似た何度目かのため息を落とした。

そして、心的に疲弊した彼を乗せた機体は国境を、時差を軽々と飛び越え、異国の地へと降り立った。
日本からの時差、およそ8時間。
岬は、出社したときに持っていたビジネス鞄1つを片手に、ドイツの土を踏んだ。

だが、ドイツの群青色の空を見上げる暇も与えられず。

「お待ちしておりました。本社までお送りいたします」
「…あ、ありがとうございます」

入国ゲートをくぐった自分を笑顔で迎えた男に促されるままに、黒塗りの高級車に乗せられる。
岬の中で渦巻いていた戸惑いは、その瞬間。
諦めに、変わった。
人間という生き物は往生際悪く足掻くものだが、ときには潔く諦めることも肝心なのだ。
そうでもないとやっていられない、と口の中で呟き、上質な革張りの後部座席に身体を預ける。

「ようこそおいでくださいました。この半年間、あなたの着任を心よりお待ちしておりました」
「は、半年?」
「えぇ、半年前からこの移動は準備されていたんですよ」

たとえ、突然海外への移動を告げられ、その日のうちに機上の人になっていたとしても。
たとえ、本社では半年も前から準備されていた移動だと聞かされたとしても。
もう驚いているのも疲れた、と岬はぼんやりと車窓からのドイツの街並みを楽しむことにした。

そうして、俗に言う現実逃避に勤しんでいた岬は、聳え立つ本社ビルを見上げ、無意識のうちに背筋を正した。
どれほど嘆こうが、ここが自分の新しい世界であることに変わりはないのだ。

「さぁ、社長がお待ちかねですよ」

ホテルのような清潔感が漂う近代的な内装に内心で感嘆しながら、案内されるがままに乗り込んだエレベーターが静かに止まる。
毛足の長い上等な絨毯が敷き詰められたフロアに迎えられ、岬は思わず瞠目した。

豪奢、と言うわけではない。
むしろ、どちらかと言えば地味な印象を受ける。
だがそれはただ地味なのではなく、品の良さが漂うものだった。
シックな色合いの調度品でまとめられた空間は、岬に心地良さを感じさせた。

「あのドアの向こうが社長の執務室です。どうぞ」

自分はただの運転手だから、とそそくさとエレベーターに戻ってしまった案内役を引き止める間もなく、岬はひとり扉の前に残された。
しかし、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。
ひとつ深く呼吸をして、スーツの襟を正す。

ここに第三者がいたならば、その瞬間に岬の纏う空気が一転したことに言葉を失っただろう。
凛然としたその空気に。
その清冽な美しい佇まいに。

だが、幸いなのか不幸なのか、今は岬しかいない。
凛と背筋を伸ばし、精緻な意匠が施されたドアを軽くノックした。

「入れ」

何拍か置き、中から入室の了承が出される。
ドア越しに空気を震わせた低い声は、厳かでさえあるこの雰囲気に相応しい落ち着いたものだった。
緊張よりも、期待に近い気持ちで「失礼します」と声を掛けてから、岬は静かにドアを開けた。

そこに、広がっていたのは。
フロアにあったもの以上の、心地良い空間だった。
上等な調度品がさりげなく存在を主張する、落ち着いた色彩の空間。
凪いだ海風のような空気が、まるで岬を歓迎するかのように全身を包んだ。

そして、小さく息を飲む。
天井から床まである一面のガラス窓を背後に立つ男に、視線が奪われる。

「Willkommen in Zentrale.Misaki」

離れていても肌に感じる、圧倒的な存在感と威圧感。
上質なスーツは彼のために仕立てられたもののようで、その声音をより重厚なものに感じさせる威厳を纏わせている。

「ようこそ、本社へ。岬」

流暢な発音で紡がれた日本語に、再度瞠目する。
あの辞令書の端に書き添えられていた手書きの文字も日本語だったことを思い出し、新しい上司をまじまじと見てしまう。
光を弾く黒髪は、今時日本人でも珍しいほど艶やかなものだ。
だが、鋭い眼光を放つ双眸は決して日本人にはない、セルリアン・ブルー。
一見して軽そうに見える色だが、何故かこの男のそれは畏怖すら与える深さがあった。

これが、思わず傅きたくなるような圧倒的な権力者としての資質。
世界に名だたる大企業の頂点に君臨する男が持つ、存在感。

「ヴィルフリート・アレンスだ。よく来てくれたな、待っていたぞ」

差し出された手にはっと我に返り、その大きな手を握り返す。

「四ノ宮岬です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」

仕事内容は、この執務室で専属秘書として俺をサポートをすること。
会議や交渉の場にも連れて行くことになるが、お前なら問題ないだろう。

一気にそう告げられ、諦めの境地にいる岬は頷くことしかできなかった。
そもそも、この男に専属の補佐など必要なのだろうか。
会議や交渉の場に連れて行くというのは、常に傍で行動を共にするということだろうか。
質したいことは山ほどあったが、自分が待ち望まれていたことだけは質すまでもない。
求められ、嬉しくないはずがない。
彼の執務机の斜め前にある、恐らく自分のために整えられたであろう机をちらりと見、それを一旦飲み込んだ。

「あぁ、そうだ。マンションには家財と生活用品は一通り揃えてあるが、不便があればすぐに用意させるからな」
「は?家財…生活用品まで、ですか?」
「当然だ。何か足りないものがあれば言えよ」
「い、いくらなんでも、そこまでして頂くわけには…」
「何を言う。半年も前から岬を待っていたんだ。これくらいはさせてくれ」
「いえ、ですが…」

何か必要なものがあれば買って来い、と差し出されたクレジットカードに絶句する。
最初に感じた印象とは全く違う実にフランクな対応にも驚いたが、ブラックに輝くそれにもう言葉も出ない。
現実逃避に勤しみ、驚くのはもう止めよう、と諦めの境地にいた岬だが、さすがに唖然とする。

「素直に甘えておけ。これは俺の個人的な金だから気にすることはない」
「な、尚更です!」
「別にいいじゃねぇか」
「よくありません。お気遣いだけ十分ですから」
「真面目だなぁ」

無理矢理手を引かれ、利用金額が無限だというカードを握らされる。
その強引さに、岬は早くも胃が痛むのを感じた。
自分がこの人の補佐をしていくことができるのだろうか、と憂いてしまう。

「正式な着任は来週からだ。それまでは、ゆっくり観光を楽しめ。土地勘はあるんだろう?」
「え、えぇ。多少でしたら…」
「なら、それを使って遊んで来い。だが、19時にはここに帰って来いよ」
「は?」
「今夜は食事に行くぞ」
「え、ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
「悪い、今から会議なんだよ。詳しい話は夜にな」

もっとゆっくり話がしたいんだが、と心底残念そうな顔をされる。
大きな手でくしゃりと髪を撫でられ、何なんだこの人は、と思う間も与えられず、岬は広い執務室に残された。
無人島にひとり取り残されてしまった気分だ。

「頼むから行かないでくれ」と泣きついてきたかつての上司が、無性に恋しくなる。
決して楽ではなかったが、同僚たちと過ごした日々は楽しかった。
権力者としての資質は十分すぎるほど持っているのだろが、強引で、人の話しを全く聞かない新しい上司の補佐として過ごすことになるごく近い未来を思うと、ますます胃が痛くなってくる。

「はぁ…」

先が思い遣られる、というよりも、いっそのこと逃げ出してしまいたい気分だ。

仕事で海外に長期滞在をしていた頃も、あの小さな島国がこれほどに愛しいと思ったことは一度もなかった。
無機質なビルの樹海だろうが、喧騒が絶えない埃っぽくて品のないネオンが24時間昼夜関係なく目を焼く街であろうが。
10数時間前まで立っていたあの国の空気が、すでにひどく懐かしいと思う。

「帰りたい……」

仕事を始めるのが来週でいいのなら、何も辞令を渡されたその日に渡航しなくともよかったのではないか。
第一、半年も前から準備されていたのなら、半年前に本人に打診するのが普通だろう。

呟くのと同時に激しい脱力感と疲労感がどっと襲い、とりあえず自分のために用意されたらしいデスクチェアに腰掛ける。
その座り心地は良く、日本のものとは大違いだ。
もちろん日本で使っていたものも安価なアルミ製ではなかったが。
机は、恐らくアンティークの部類に入るだろう重厚なマホガニー。
パソコンは最新モデルで、文具類もドイツで有名な老舗メーカーのもので揃えられている。
仕事をする環境だけを見れば、これほど恵まれた場所はないのに。

「…胃薬、買いに行こう……」

精神的に疲れた身体をしばしデスクチェアに預け、岬は徐に腰を上げた。
19時には帰ってくる場所に、数えるのを放棄したため息をぽつりと落として。




「今思えば、あの時に逃げておくべきでした」
「ん?」
「あなたに初めて会ったときですよ」
「あぁ、あの時も岬は可愛かったなぁ」

撫でたり梳いたりと髪を弄るヴィルフリートの手を自由に遊ばせながら、あの頃から数えたら途方もない桁になっているだろうため息を落とす。
これで本当に幸せが逃げるというのなら、自分の幸せはもう微塵も残っていないだろう、と思う。

「逃げるつもりだったのか?」
「あの時、もっとあなたから詳しく話しを聞いていたら逃げていたでしょうね」
「俺が逃がすと思うか?」
「間違いなく、連れ戻されていたでしょうね。世界のどこに逃げたとしても」

あれから、5年。
本社社長の専属秘書となり、彼の強引さに振り回されているうちにもう5年も経ったのだ。

気付けば、こうして同じベッドの中で過ごす関係になっていたのだから時間の経過というものは恐ろしい、と岬はつくづく痛感する。

「ありがたく思えよ。本当はそのまま連れて帰るつもりだったのを、部下が必死に止めたから半年も待ってやったんだ」
「支社に視察に来たときですか?」
「あぁ。パソコンに向っているお前は可愛かった。というか、何をしていても可愛かった」
「そうですか、私は危うくあなたに拉致されるところだったんですね」

半年も待ったと言うが、岬にしてみれば出社したその日の朝に突然移動の辞令を渡されたのだから、待ったも何もない。
まさに、晴天の霹靂だった。
いや、快晴の空に稲妻が走る程度の驚きではなかった。

「実を言うと、1週間で弱音を吐くんじゃないかと思っていたんだぞ」
「私がですか?」
「あぁ。お前が支社に泣きつけば、帰ることもできただろう」

確かに、帰る術はいくつか残されていた。
しかし、意地だったのか何だったのかは忘れてしまったが、その術を使うことはなかったのが事実。
あまりの激務に故郷を想ったことはあったが、結局、岬が帰国をヴィルフリートに願ったことは一度もなかった。

「最初から、分かっていたのかもしれませんね」
「何を?」
「あなたから逃れることなどできない、と」

理由も根拠もない。
だが、無意識のうちにそう思っていたのだろう。

視線を逸らすことを許さない、このセルリアン・ブルーの瞳。
全ての神経を奪われる、声や仕草。
あのドアを開けた瞬間に、自分の全ては彼の手の中にあったのかもしれない、と思う。
いや、辞令の隅に流暢な筆跡で書かれていた、あの言葉を見た瞬間にはすでに。

「譬えるならば、空腹の獅子を前にした草食動物でしょうか」

食物連鎖の果てに、非捕食者と捕食者に分けられた関係。
自分は哀れな、非捕食者だ。

「ふっ、なるほどな。俺は捕食者か」

するりと頬を撫でられ、長く節だった指が唇に触れる。
ベッドシーツにまで染み込んだ煙草の匂いとヴィルフリート自身の匂いが混ざり、岬の鼻腔を甘く擽る。
これを心地良いと感じるようになったのは、いつからだったか。

「まだ満腹ではないのですか?」
「あぁ、足りないな」
「それは困りましたね」
「いや、そうでもないさ。俺の目の前に極上の好物があるからな」
「食べ過ぎは身体によくありませんよ」
「俺は腹が減っているんだ。お前は、大人しく食われていろ」

すっと細められた瞳は、まさに獣のそれ。
獲物を前にした、獰猛で勇ましい百獣の王のそれだ。
その牙はあまりにも鋭く、あっと言う間に首筋を捕らえられる。
そうなればもう非捕食者は息の根を止められ、自然の摂理に従うまでとなる。

牙が甘く食い込み、痛みではない痺れが全身に走る。
そうなれば岬もまた、自然の摂理に従うまで。

「それが、非捕食者の運命ですから」

そう、世界のどこにいたとしても、きっと。
きっと自分は、非捕食者として捕食者である彼に捕らわれる運命だったのだろう。
あの無機質な樹海の中から、見つかってしまったのだから。

  88の星座から、せーので2人が同じ星を指さすのと同じくらいの確率で


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秘書室のオカンが本社の社長に拉致られて溺愛されるお話が書きたかったんだよ。
それがね、何故かこうなったんだよ。わお、ミステリー。

シックザール(schicksal/ドイツ語)=運命
2009年3月21日秘書萌えに目覚めて初出/秘書をおかずにご飯3杯いけた2012年10月11日再出


*ブラウザバックでお戻りください


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2012-10-11
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